日々

日々の言葉落穂ひろい~日本語の美しさを感じたことがありますか?

2011年9月 3日 (土曜日)

(その7)日本語の美しさを感じたことがありますか?

「万葉集を歌う」というブログをつくって

万葉集を読み 気になる歌に合わせて歌作りをしてきました

この記事で取り上げられた額田王の歌

私は詠んでいるだろうかと調べてみました

以下 私が詠んだ歌二首とコメントの返事を記してみます
https://ichirof59.blog.fc2.com/blog-entry-349.html

[番号] 04/0488
[題詞] 額田王思近江天皇作歌一首
[原文] 君待登  吾戀居者  我屋戸之  簾動之  秋風吹
[訓読] 君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く
[仮名] きみまつと,あがこひをれば,わがやどの,すだれうごかし,あきのかぜふく
[左注]
[事項] 相聞,作者:額田王,天智,恋情,待つ,漢詩

我が恋は我が欲望の為ならば人を愛せずすべて自己愛
君からのメール途絶えて幾月か病は如何に問えぬ我あり

一郎

No title
こんにちは。相聞歌には縁がないのですが、額田王と天智天皇ならば無視するわけにもいきません。「簾動かし秋の風吹く」で、恋する人が来る予感を表現しているようです。虚構でもこのような歌をつくれるといいのですが・・・。

一郎

No title
大海人皇子は、後に天智天皇の太子、大友皇子と皇位継承の争いがきっかけとなって壬申の乱となるのですが、一説には額田王をめぐる両者の不和が遠因となっているとする見方もあるようです。万葉集を読むようになって古代の歴史に興味が出てきました。額田王は、「壬申の乱の際に戦死したともいう。」とする説もあるようですが、「持統天皇吉野行幸に際して弓削皇子と贈答歌を交わしており、60代頃まで生きていたと推される。」ともあり、まだまだ謎が多いようです。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

ブログ主は この歌に日本語の美しさを感じ

芭蕉の言葉を引いて

「読者の想像力に訴えて、余情と余韻を楽しめる作品でないと、おもしろいことも何もありません。」

と書かれています

ブログ主の深い見識と読みを感じます

私の場合は 一に自分の心を見つめることから始めます

余剰と余韻は考えたこともないのです

そもそも短歌とは何ぞやという問いを飛び越し

文字数をそろえて自分の心を表現するということに腐心していました

味わいも何もない自己満足の歌作りと言えます

二首ずつ作ったのにはそれなりのわけはありますが

それとて意味があるかどうかも危ういとことです

啄木の歌集の歌合せを進める中で 万葉集を意識するようになりましたが

古典を手本にするといえば聞こえはいのですが

手本にもせず自己流の歌作り 歌と言えるかどうかも疑わしいところ

しかしこれまで何の興味もなかった万葉集を読んでみようと思っただけでも

私的には進歩と言えます とにかく思ったことは始めるやってみる

そこからおいおい学んでいくというのが私のスタイル

この歌作りをする中で たとへばコメントの返事にしろ

周辺のことを学ぶことから始めなければなりません

それは当時 大いに勉強になったはずなのですが

もうかなり前の作業 今となっては何もかも忘れて夢の世界になっています

ある時期私なりに 私なりのやり方で万葉集を読んでいた

その記録がブログとして残っています

万葉集の歌が話題になるとき その歌をかつて読んだかどうか調べます

それでどうなるものでもないのですが 今回のように歌作りをしていて

コメントにも返事していた そのことが分かっただけでも

私としてはうれしいことです

今は歌作りから離れていますが 五百首余りに歌合せしてきたので

当時目標にしていた万葉千首をさらなる目標にして

取り組む日の来ることを願っています

その思いを強くした記事でした

 

 

 


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