日々

鏡よ鏡、世界で一番

自分が嫌いで自信がないから、他人の評価でしか自分を測れない。

友人として、よい友であろうと努めていれば、友達が友達でいてくれる限り不安にならずに済んでいたけれど、女としてよい女かどうかが映る鏡を自分で持っていないから、男の眼に映った自分を見ないと、自分がどんな姿かわからなくて不安。

「鏡よ鏡、世界で一番~」っていっても、思い通りの答えじゃなかったり、映ったり映らなかったり、むしろレスポンスがないほうが普通なとんちき鏡の恋人に、「不安にさせないでよ!」って、怒るのも、実際は筋違いの話だ。

相手の問題じゃない。

自分の問題なのだ。

そんな話をしたら、何人か鏡を把りて、魔ならざる者ある。魔を照すにあらず、造る也。即ち鏡は、瞥見す可きものなり、熟視す可きものにあらず。

恋人からそうメールが来た。

──鏡を持って、魔にならないひとはいない。鏡は魔を映す物ではなく、魔をつくる物なのだ。すなわち鏡は、ちょっとだけのぞかなくてはいけない、じっくり見てはいけない。

「僕 はね、鏡が割れるくらい見つめていたかったんだよ!

飢は恋をなさず、恋は飢をなす。こがれ死といふ事あり、恋ひに恋ひて死するにあらず、飢ゑに飢ゑて死するなり。

「ASUSのタブレットとスマホ食ってくる!」

恋に恋して死ぬんじゃなくて、恋しくて食欲わかなくて、飢えて死ぬんだってこと。

お前のことなんて、飯が食える程度なんだからね!

ASUSのタブレットとスマホうめぇ!


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