(その3)「換骨奪胎(かんこつだったい)」について考えてみます
上記のブログ記事から
「関骨奪胎」をピックアップ
藤原敏行朝臣の古今集からの歌を引き
上記のブログ記事から
「関骨奪胎」をピックアップ
藤原敏行朝臣の古今集からの歌を引き
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
後の時代の蕪村と大伴大江丸が
その歌を踏まえて作った俳句を紹介
もうこの時点でブログ主の博識 見識の高さに感心します
蕪村の名は知っていても
換骨奪胎についての一文に
その句を引用し
さらにはご自身の一句をオチに持ってこられています
換骨奪胎を笑いで簡単に説明されているところなど
私にはできない芸当?文体
恐れ入り谷の鬼子母神です
と書きながらこの意味すら分かってないのですが
さて
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
この歌は聞いたことがある 知っていると思うのは
きっと私の錯覚 思い違いでしょうね
私はまったく古典には門外漢 無関心ですので
わずかに「万葉集」は少しかじったことがありますが
かじった程度で 万葉集を語る術を持ちません
ではなぜ先の歌を知っていると錯覚したのでしょうか
まずそれを考えててみます
「目にはさやかに」この部分が見覚え聞き覚えがあると思わせているようです
「目にはさやかに」で検索してみます
この歌意外に何が出ますか・・・
「目にはさやかに」では ほとんど藤原敏行朝臣の歌に関することでしたね
他に何か出て来ると期待したのですが
でもその中にひとつ際立ったサイトというかメルマガがありました
その一つの項目が まさに「換骨奪胎」の説明に引用された内容でした
これは
小 倉 百 人 一 首 あ ・ ら ・ か る た メ ニ ュ ー
の一項目
その説明文も紹介しておきます
なかなかの内容ですから
そして項目の多さと内容も見るべき面白さがあります
小倉山荘では、2010年に、これまで紹介してこなかった新しい角度から小倉百人一首をご紹介しようと『小倉百人一首 あ・ら・かるた』メールマガジンを創刊しました。雑学や風習など、百人一首の歌の世界の裏側まで楽しんでいただけましたら幸いです
メニューのほんの一部を引用 その項目は 【295】雪月花雪月花まで続いています
【1】 | 百人一首は江戸時代にブレイク |
【2】 | 朝は別れのとき |
【3】 | 見たことのない歌枕 |
【4】 | 鬼になった阿倍仲麻呂 |
【5】 | 常にもがもな |
【6】 | 花の色は |
【7】 | 本歌取りのマナー |
【8】 | いやいやながら僧にされ |
【9】 | 和歌の言語遊戯 |
【10】 | 良妻賢母物語 |
このメルマガはどなたが どんな人が発行しているか気になります
何しろ内容が面白すぎ 豊富
私から見れば とても素人お一人の発行とは考えられない
小倉山荘のメルマガとなっていますが
そもそも小倉山荘とは? 大本のリンクをたどれば
そのお店が あのようなメルマガを発行されているとは
もしや「換骨奪胎」を書かれたブログ主は
このお店の関係者では?と想像してみたのでした
「目にはさやかに」の検索でのこれは大収穫でしたが
私の錯覚問題には何の手掛かりにもなっていません
私にすればまずそれが問題
人様からすれば 何も問題ではないでしょということになるかも
そうなんです 人様には何の問題もないのに
その本人だけのなぜかこだわりなのです 些細なことですが
「さやか」からくる思い違いなのか? そんな気もします
用事があるので ここで一旦お休みします
こんな注釈入れる必要もないけどね
これもこだわりということで お許しを
リハビリの先生が来て リハビリ開始
数の声出しを手伝いましたが 姉さんは知らぬ顔
昔は先生と一緒に数を数えていましたが・・・そうなるといいのに
あれ?姉さんの日記と間違ったみたい
もとい・・・
「さやか」で検索してみる? これ多いと思うし しても無駄かも
でも気になるからやってみよう 結果はダメだたとしても
無駄な事はないというのが信条だからね
検索してみたけど
結局 引退したけど好きな卓球選手だった平野早矢香さんの公式サイト見っけて
少し喜んだかなというところ
その前に気になる「男の妄想 音無さやか 妹の甘いカラダ」の記事を観たが
「妄想」という言葉に私は弱い
妄想家を自認しているせいもある
そいうわけで「さやか」からは予想通りの結果
ということは 単なる私の木のせいということになるだろう
何ら根拠ある記事には出会わなかったので
まあ既視感とかいうのも根拠のないことが多いだろうから
「目にはさやかに見えねども・・・」という歌に
見覚え聞き覚えがあるとしても
そんな気がしたということで済ませたらよいようだ
何事にもこだわる性格が ここまで引っ張ってきて
気のせいで終わるとは・・・それもまた一興
そこで次の話題 これが「換骨奪胎」につながる話になればいいのだが
その意味を理解しているかという問題がある
ほととんぼさんは最後にこう書いています
『換骨奪胎』とは、昔の人が作った詩文をまねて自分独特の新しい表現をすること、なのだそうです。よく言えば「焼き直し」または「パロディ」、ちょっと間違えれば「盗作」ってことです。
私のことで言えば
「万葉集を歌う」というブログを作っていました
万葉集の歌を詠み その歌から感じたことや使われている気になる言葉をもとに
自分なりの歌をつくるという試みです
「換骨奪胎」の意味からすれば 私の試みもまさにそう言えるのかと
これまでそのような意識はまったくありませんでした
私は歌合せという意味合いに考えていました
本来の歌合せとは意味が違うのですが
万葉集の歌を読み そこから得た私なりのインスピレーションを歌にする
このような作業は万葉集が初めてではなく
飯川啄木の歌集「一握の砂」でまず始めたことなのです
歌合せとは本来の意味は
歌合
万葉集を読み 万葉集を詠う
第1回 [番号] 01/0008 (第1巻第8番)
2035/06/24
「万葉集検索ソフト」(山口大学の吉村誠先生制作)によるデーターを一部省略して使用
http://yoshi01.kokugo.edu.yamaguchi-u.ac.jp/makoto/[番号] 01/0008 [原文] 熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜 [訓読] 熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな [仮名] にぎたつに ふなのりせむと つきまてば しほもかなひぬ いまはこぎいでな [事項] 雑歌 作者:額田王その昔父に連れられ長崎の島を巡りし船酔いもせず
「万葉集を歌う」をスタートします。新しいブログの旅への船出・・・そんな意味を込めて選んだのではないのです。ともかくも第1巻を開くとずっと長歌が続きます。それで8番目のこの歌がちょうどスタートには適当かと・・・。これからも順不同、そのときどきの気分と季節によって全20巻のなかから取り上げていきます。いったいどれくらいの歌が集められているかということには触れないでおきます。「無知の悪」という言葉がありますが、私の場合「無知の強み」とでも言っていいのか・・・ともかくも私の「万葉集」が始まります。
万葉集の名の由来として、「万の言の葉」・・・歌を集めたものとする説と、「万の葉(世)」・・・「万世にまで末永く伝えられるべき歌集」と解する説があるといいます。
「万葉集」の歌を素材に、日記代わりに自分の歌をつくっていこうとする私の場合、「万の葉」は・・・ままよ、なるようになるさの「ままよ」とでも解してください。
「goo辞書」によると、
ままよ 【▼儘よ】(連語)
成り行きにまかせる以外に手だてのない意を表す語。どうにでもなれ。なるようになれ。
「―、行けるところまで行ってみよう」「ままよ、行けるところまで行ってみよう!!」
この「万葉集を歌う」は、万葉集や短歌について学問的に研究するものではありません。万葉集の歌の内容や使われている語句を素材に、私なりに歌にしてみようというものです。いわば日記代わりのようなもの・・・よければお付き合いください。2005.6.24(一郎)