
姉さんの日々 10月15日(火)~姉さんとの最後の日
姉さんの日々は これで最後になると思う
今日お昼には 姉さんと永遠のお別れになる
いまベッドで静かに寝ている姉さんの姿は最後になる
姉さんは骨になる 土になる 風になる 記憶になる
以下は 15日 高山のnoteからの転載
2019.10.14~高山とトンネル工事現場の近況:今日火葬場に
今 15日の午前4時半 0時前までさとちゃんちのコメントを書いていた
どうにかコメントのノルマ10件書いたところで眠くなった
目が覚めたのが2時過ぎ ちょっと韓流ドラマ観て 少し日記を書き始めた
昨日書いたのは 夕方からさとちゃんちのコメントだけ いろいろあって書き暇がなかった 死亡届を昨日中に済ませて 火葬許可書をもらえたので
今日の段取りは区役所のケースワーカーsんへの確認だけだと思う
祖の手続きが済まば 姉さんと一緒に火葬場に行くことになる
いよいよ姉さんとのお別れ
今 姉さんはベッドでキレイな顔で寝ている
時々姉さんを見るのだが 息をしているよに錯覚する
声を掛ければ 私の方を向いてくれそうな気もする
そんな姉さんと 今日お別れする
今朝 起きてもすることがないので 8時まで寝ていた
今日 午後には誰もいない部屋に戻ってくるのだろう
そのうちベッドも引き取られる 部屋ががらんとする
そうなってやっと 姉さんが居なくなった実感を味わうのだろう
50年近く一緒に暮らした 一時期 私が大阪に入り浸りになっていた
そんな好き放題をしてきた私の面倒を 食事の世話を楽しみに続けてくれた
料理が大好きな姉さんだった その姉さんにずっと甘えてきた
甘えるために姉さんと暮らしたのが正直なところ 怠け者の私は働かないことも度々あった 姉さんは働く音をいとわない人 ス-パーの鮮魚の下働きのパートもした 早朝パン屋さんで調理パンを作っていた そしてうつましく姉さんは暮らしていた そうやって姉さんが貯めた定期預金を
私が勝手に解約して 車を買ったり遊興費に使った フィリピンの女性に貢いでいたのは30代のころだった いろいろ迷惑をかけた 心配もかけた
その罪滅ぼしが姉さんの介護だった 私は喜んでやった 楽しくやった 当然のこととしてやった それが恩返しだった だから嫌なことは何もなかった 世話できるのがうれしかった そして私は姉さんの最後を看取るという責任を 今果たさせてもらっている 責任から逃げ続けた私が やっと姉さんに対する責任から逃げずに終わろうとしている 姉さんによってやっと 70を超えてやっと 責任の一つを果たせる大人にならせてもらった 感謝しかない 5時を回った もうひと眠りしたくなった
寝れるかどうかわからない 眠れなかったら韓流ドラマを観よう