大事なことは、2020年以降の世界における日本社会の繁栄
自民党総裁として第三期目の座を得た安倍首相が任命した内閣には大きな仕事が待っています。それは、ポスト2020の日本社会の青写真をしっかりと描くことです。 2020年というと東京オリンピック・パラリンピックという大イベントを連想しますが、オリパラの開催は目的地ではなく、通過点です。大事なことは、2020年以降の世界における日本社会の繁栄です。
2020年は日本社会の大きな時代の節目であるということは長年の持論であり、安倍改造内閣にはBEYOND 2020への方向性をしっかりと定めることを期待します。
オリンピック開催に向かい需要増大によって景況感が高まり、開催後には冷めるという見方があります。また2019年の消費税引き上げを安倍首相は公言されていて、実施されればその悪影響への懸念も広がるでしょう。
しかし改造内閣に期待していることはこのような短期的な景気のテコ入れ(財政のバラまき)ではありません。 日本社会が2020年以降も繁栄する30年を迎えるために重要な意識改革や構造変革への方向性を定めること。これを安倍政権の最優先課題にしていただきたいです。 日本の近代社会には概ね30年の破壊と30年の繁栄という周期性、つまり時代のリズム感があると思っています。
1960年から1990年は、日本が高度成長に恵まれ、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と評された繁栄の30年でした。 一方、その前の1930年から1960年までの30年間を一言で表せれば、戦争です。それまでの常識が非常識となった、破壊の時代でした。 しかしその破壊の時代があったからこそ、日本社会における様々な要素がリセットされ、次の繁栄期を迎えた。このような因果関係があるかもしれません。
その前の1900年から1930年の時代の初めには日露戦争がありました。この戦争は、後進国であった日本が当時の先進国への仲間入りを世界に示したという大きな出来事でした。またそれまでの日本の歴史において一般市民が最も豊かな日常生活を送っていた時代だと思います。したがってこれも繁栄の30年と言えるでしょう。 そしてその前の1870年から1900年。これは、維新です。
270年間続いた江戸時代の常識が破壊されました。そして、その破壊の中から新しい時代、日本の近代社会の基盤が生まれました。 このようにザックリと歴史を眺めると、明治維新以降の日本は30年の破壊によって次の30年が繁栄し、それから30年間の破壊を経て30年間の繁栄を果たしました。 1990年以降、日本は「失われた10年」と呼ばれました。それが「失われた20年」になったという声も上がりました。
しかし時代のリズムを感じ取れば、我々日本人は「失われた」時代ではなく、「破壊の30年」に暮らしていたという見方ができ、今年はその28年目に入ったということになります。 そして、新しい時代は2020年から始まるはずです。概ね「明治150年」と重なる時代のカウントであり、来年に年号も変わります。
新しい時代を迎えている予兆は確かにあるのではないでしょうか。 では、2020年から何が起こるのか。それは急ピッチで、人口の多い「団塊の世代」からの世代交代が進むことです。一般に少子高齢化の進展は懸念されていますが、これは過去の成功体験の延長で未来を描いているからです。稼ぐ人口が増えて、消費が増えて、モノが溢れる豊かな社会が築かれる。 これが成功の青写真であれば、繁栄どころか、衰退しか見えません。
新しい時代の繁栄には、新しい時代の成功体験を築く必要があります。 国民的人気漫画「サザエさん」の連載が開始されたのは1946年でした。その後、1955年にラジオでドラマ化、1956年に映画化、1965年にTVドラマ化、そして1969年にTVアニメ化されています。日本の破壊から繁栄に入っていった時代と重なります。
1960年代の国民総所得(GNI)は年率10%以上で、「今日よりもよい明日」が国民的に実感できていた時代でした。 そしてそのサザエさんのお父さんである波平さん。年配の印象がありますが設定年齢は、なんと54歳。 ただ、日本の平均寿命をサザエさんのストーリーに重ねてみると1947年(50歳)、1955年(63.6歳)、1960年(65歳)、1965年(67.7歳)。波平さんが描かれている姿に違和感ありません。
このような時代背景によって1961年に国民年金および国民皆保険が発足したのです。しかし、今は人生100年という時代です。波平さんのように年功序列・終身雇用を前提としたサラリーマン生活は、今後は「並」ではない時代になるでしょう。マスオさんの同僚は外国人かもしれません。 人生100年時代に必要な働き方改革は労働市場の活性化であり、その新しい働き方に相応しい社会福祉制度を再設計する青写真が不可欠です。
新たな時代のための憲法改正に私は支持しています。ただ、9条の第1項(戦争放棄)と第2項(戦力不保持)を維持して「自衛権」を明記する3項を入れる権力行使の部分最適に労をねぎらうことは、建設的な国民的議論の展開にならないと思います。 国民的な総意を確認するには部分最適ではなく、全体最適が不可欠であり、そういう意味で憲法改正は「前文」から入るべきでしょう。
新しい時代においても平和を尊ぶ国民の主体性を前提とする前文の憲法改正で国民の総意を得ることを最優先すべきです。