なぜ気になるのだろう goo blog「日々の細道」へのコメント記録~7日目
日々の細道
手持ちの回数券が一枚また一枚、残り少なくなっていく老いの日々、どう生きていくか?
なごり梅
コメント再開7日目 (一郎)
2019-09-22 23:46:52
午後11時を回りました
いつもはもっと早くここにきていましたが
でもどうやら今日中にはコメント書けそうです
そしてこのコメントが
今日の1万字日記達成となるかどうかのキーポイント
目標は1500字としておきましょう
こちらのブログ主は 簡潔短文を旨とされているご様子
私などは 内容も文章も書きながら考えるタイプ
どうなるか自分でもわからぬ有様
長く書くことをむしろ心掛けてはいますが
内容はめちゃくちゃ それで長文となれば
読む人はあきれて すぐに投げ出されるでしょう
それでも長文にこだわる私です
コメントは短くというのが常識でしょうに
それに逆らうんですから若い人たちはもとより
嫌われて当然でしょうね
しかし なぜか長文にこだわるのが
今は私らしいという思い込み
これが私らしいとあれば このまま続けようではありませんか
続けた先に何が待っているか
あほらしくてやめるかもしれませんがねさて 記事の話題に戻らなければ
何しに来たと言われるでしょう日記なら自分のところで書けばいいとね
だから記事のことも書かなければ
庭の樹々の剪定をご自分でやられるのが趣味
我流であっても その心意気は素敵だと思います
それが出来なくなった理由が
お二人のご母堂の不幸
その看病をされてたということ
私も長年の同居人・・・姉さんと呼んでいますが
93歳になるのでいつ何があってもおかしくない状況
先月半ばに脳梗塞で意識不明
普通なら入院治療を進めるのですがという先生に
部屋で出来る処置をといって入院は選択せず
一日一回の点滴で命を長らえ回復に至りました
死だけを考えていましたので
こんなことがあるのかと驚きました
それでもなお再発の危険性はあるわけで
覚悟はしています
もう93歳という年ですし
本人もかねてより延命処置はせずに
早く死にたいと言っていました
私ももとよりその考え方です
生まれ時にすでに死は約束されたもの
早いか遅いかの差はあれ
誰もが死をもって人生が完結
完結全うした死を 私はよろこびます
悲しむこころはさらさらありません
死は悲しいことではなく喜ぶべきこと
そう思うからです
喜んで死者を送る
それがその人の人生へのはなむけになると思う
死を悲しむことは
その人の人生を悲しむこと
そうじゃないはずだ
生きる目的とは何か
死に向かって生きているという事実
死を喜んで受け入れられるようになるための
人生とは猶予期間
喜んで死ねるための修行期間
成長し学ぶのはそれを理解売るため
すべては死ぬ向かっての準備
どう死ぬかなのだ
それは裏返せば
どう生きるかという問い
喜んで死を受け入れられるようになるため
死ぬために生きる
死ぬときのために生きてきた
その死を喜んで迎えること送ること
人生は死をもって完結
生を全うした先にあるのが死
死を喜ぼう
喜べるようになろう
さすれば死への一日一日も
喜びに満ちたものに
なぜなら 死が待っているから