なぜ気になるのだろう goo blog「日々の細道」へのコメント記録~34

日々の細道

手持ちの回数券が一枚また一枚、残り少なくなっていく老いの日々、どう生きていくか?

植木等さん、ありがとう

2007年03月29日
こういう記述があった
「今日とも知らず、明日とも知らず、夕べには紅顔、明日には白骨となれる身なのだから」
「夕べには紅顔、明日には白骨となれる身」
この文章が気になったので検索してみた
http://www.hotokuji.com/hakkotunosyo.html
「白骨の章」という文章 蓮如蓮如上人の言葉か
こういう記述もある
「勤式指導書編集の『浄土真宗本願寺派葬儀規範勤式集』によりますと
還骨勤行(かんこつごんぎょう)(遺骨となってわが家に還り、仏前に安置してつとめる勤行)において「白骨の章」を拝読する」
姉さんを送って3週間ほど過ぎた その時期にこの文章を知ったのも
何かの縁かと思う
この文章の前後の意訳を引用すると
「私が先か、人が先か、今日かもしれず、明日かもしれず、おくれたり、先立ったり、人の別れに絶え間がないのは、
草木の根本にかかる雫(しずく)よりも、葉先にやどる露よりも数が多いと、いわれています。
だから、朝には血気盛んな顔色であっても、夕方には白骨となってしまう身であります。
現に無常の風が吹いて、二つの眼がたちまち閉じ、一つの息が永久に途切れてしまえば、
血色のよい顔も色を失って、桃や李(すもも)のような美しいすがたをなくしてしまうのです。
その時に、家族・親族が集まって嘆き悲しんでも、もはや何の甲斐もありません。
そのままにしておけないので、野辺の送りをし火葬すれば、夜半の煙となってしまい、ただ白骨が残るだけです
火葬が済んで 姉さんは小さな骨壺にその骨の一部を入れ
白い布に包まれ部屋に置いている
まさに「ただ白骨が残るだけです
姉さんが元気ったころ書いた書が壁に掛かっている
日記もたくさん残っている
そして姉さんの思い出は 私の記憶の中にいっぱいある
姉さんは 私や姉さんを知る人たちの記憶の中に生きている
時折 思い出しては目頭が熱くなる
そして「植木等さん ありがとう」という記事のタイトル
ブログ主がサラリーマンだったということもあり
同時代にサラリーマンを映画で演じ 歌い 励ましてきた植木等
「無責任」をむしろ正当化し謳歌した
それは会社人間であるサラリーマンや 当時の社会風潮を
揶揄し批判し とにかくも生きていくことを楽しめと謳った
植木仁男氏の父親にもwikiを引用して記している
それは私も知るところだが 植木等のその名に
平等の大切さを記している
それが仏教の根本思想という思いがあっての事だろう
父親の教えを胸に 一見無責任で調子のいいサラリーマンを演じた
実は植木等の性格はまじめだったという
彼にありがとうという言葉をブログ主は贈っている
同時代の共に生きた戦友の死だったのだろう

こちらもどうでしょう

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