日々

なぜ気になるのだろう goo blog「日々の細道」へのコメント記録~21日目

日々の細道

手持ちの回数券が一枚また一枚、残り少なくなっていく老いの日々、どう生きていくか?

お彼岸墓参ー大谷本廟参拝

2007年03月23日

再開コメント21日目 (一郎)2019-10-06 22:33:32

お墓参りの話
この記事で一つ分かったことは
納骨所の年間維持費を子どさんたちで分担
それを計算すると4人ということになる
すこし驚き 昔と比べると少ないかもしれないが
今は一人か二人 4人となると多いなあと驚くのも
おかしな話だが 少子化傾向はよくなる気配はみじんもない
それは政治の貧困としか言いようがないだろう
様々な分野で とことん最低最悪の状態に陥ってるのに 政治は変わりそうにない
国民の立場に立った政治がなされていないからだね
さて毎回政治の不満を書いているけど
こんなことは書きたくないよね
お墓参りのことだけど うちは縁が無いんだよね
先祖供養はしなければと言われるけど
父親はそんなこととは無縁な生き方をしてきたし
それを渡井がついでいるのかも
私が長男の末っ子なのに家族がない
家系とかなんとか そんなものに縁が無いので
それはそれでいい
母はもうずいぶん前 ちゃんと自分たちの墓 納骨堂の準備をしたと言ってきた
場所は私も行ったことがある田舎
母方の祖母が 世話になっていた家
おそらく母方の長男の家 戦死したのではないか
私が子供時分に行ったとき
未亡人が家を守っていた
そこに祖母がいた
夏遊びに行ったとき もう60年以上前
50円硬貨をもらった覚えがある
硬貨がもうでていたの 確認するか
1955年にニッケルの50円硬貨が発行されている
小学生だったから 祖母からもらった記憶通り
母より早くなくなった父もその土地のお寺の納骨堂に
母といっしょに入っているだろう
もしかしたら母は私の分も準備しているのかもしれない その連絡を受けて記憶があるが 無関心だったので忘れてしまってる
このように私自身も冠婚葬祭嫌い だから結婚しないともいえる
お墓のことは全く考えていない
無縁仏になるのが願いだから
わが願い無縁仏で野垂れ死に

父の時も母の時も 私は田舎に帰らなかった
そんな私が同居人を介護し
その死を看取ろうとしている
おかしなものだが それが私なのだ
やっと一つだけ 責任を果たせそう
これまで責任から逃げてきた
そんな私が古希を過ぎ やっと責任をとれる人間になった しかしそれも私流だから
世間一般の常識通りにはしないだろう
何もしないといっていいかもしれない
同居人を姉さんと読んでいる
20以上も年上 母親的存在ともいえる
先月から様態が悪化した
脳梗塞 脳内出血
いわゆる脳卒中と呼ばれる状態になった
一時意識不明
そこから一日一回の点滴で命がつながった
意識が回復し 食事もできるようになった
私はもうこの先は死しかないと思っていた
姉さんは生死の峠を乗り越え 戻ってきた
その後何度か苦しい状況を経て
まだ命は続いている
自分で食事ができなくなったら
その時が終わり
もう点滴は打たないと決めた
入院もしない
延命治療もしない
もう姉さんは十分に生きた
むしろ死ぬことで楽になる
死は約束された決め事
自分でどうすることもできない
その時を待つのみ
死を受け入れるのみ
死をもって人生は完結
必ず終わりは来る
死ぬために生まれ生きてきたと言える
死ぬ準備こそが人生の意味
いかに死ぬかは
いかに生きるかという問いと同じ
姉さんの死を
歓喜の歌で
私は送る


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