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毎日に特別な何かが起こることを求めるから、気が焦ったり、感情が抑揚したりするわけで、
そんな事には過度に期待せず、何もなくて当然とすると
何も起こらなかった事に残念感もなく、爽やかな気持ちで毎日過ごせるんじゃないかな。
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こうしたほうがいいよ、ああしたほうがいいよ
なんて、お互いそう知りもせずに押し付けてくる人たちは
よっぽど自分の歩んできたサクセスストーリーに誇りがあって
それはまぁ素晴らしいことで
その人たちがそのストーリーを歩んできた結果、無駄だったなと感じることを
無駄として歩ませないとする助言には確かに優しさを感じないでもないんだけど
それあっての今でしょ、と、ひねくれてるかもしれないけども思うわけで
それよりも、こうしたいと言うことを聞いてくれ、無駄な事は何もないとして
否定せず、目の前の目標に対してどうアプローチしていくかを明確になるように
薄く、進行方向に線を引いては消してくれ、また引いてくれ
としてくれる人
こう言う人たちが成功者じゃないかなと思うわけ。
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「ごめんなさい」
と言うと
「ごめんなさい」じゃなくて「ありがとう」でいいよ
と言ってくれる人がいて、気持ちはわかるけど
「ごめんなさい」は「ごめんなさい」で、「ありがとう」には
なり得ないので、それはそれで受け止めて欲しいし
その柔軟性があるなら、「ごめんなさい」を「ありがとう」として
受け止めてくれてもいいんじゃないかと思う
妥協案として、どっちも言う。と言う手もあるけど
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小学校の課外活動で部長という役柄をいただき、
しばらくそれで活動を行なって
ある日決め事をするときに黒板に自分の名前を書くところで「部長」と、ふざけて書いたところ、
「お前がいつ部長らしいことをしたんだ」
と、ずいぶん怒られたんだけど、それが20年近く経った今でも忘れられずに
自分の中のリーダー論を作ってる。
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「都合いいところだけ吸収して、嫌やった部分は無かったことにするのも大事やで」
「あれ?そんなんありましたっけ?でええねん。」
と、言われたことで救われたことが多々ある。

