日々

「らしさ」が『いじめ』を産んだという話

とある論語の勉強会で「らしさ」という言葉が日本のいじめと差別を産んだという話がありました。

旅の公告や化粧品、車や保険にいたるまで「自分らしさ」というキャッチコピーはよく使われ、心を掴む黄金キャッチフレーズであるのですが、この「らしさ」というのが日本の陰湿で複雑な「いじめ」を産んでいるという切り口はとてもおもしろい話でした。

「年長さんらしく」「年少さんらしく」

この「いじめ」の境界線は小学校よりも前から植え付けられているというものでした。

「年長さんなんだから、しっかりしないと」
「年少さんは年長さんをみならって!」

よくあるような幼稚園の先生が言いそうな言葉ですが、その後につづく言葉「○○(組織を乱す行動)するなんて、年長さんとして恥ずかしいよねー」「見てごらん、おにいちゃんおねえちゃんはそんなことしないよー」という風に「らしさ」を先生から押し付けられ「らしくないといけない」ということをすり込ませている。。という話でした。

この考えは小学校、中学校、高校、大学まで根付いて、日本特有の「先輩・後輩」という仕組みを構築した後、「自分らしさ」を無くしていきます。これは、生まれた家庭の財力、肌の色、性別などのいじめられる要因ではなく「組織にふさわしくない(らしくない)」という理由だけで「いじめの対象」になってしまうとのことでした。

そこから勉強会では「日本人の働き方」の話になり、幼い頃から「らしさ」を統一してきた縦割り組織や年功序列が得意なな日本がどういった「働き方革命をしていくのか?」という話になっていきました。すでに形成された「らしさ」を変えることはできないので、今の若い世代やこれからの子どもたちはどういった「らしさ」を構築していくのだろう・・と小さな論語の会では答えが出るはずもないので、各々の宿題となりました。

息子に向けた、父の言葉。
ですが、この言葉も「父親らしさ」から発信されたものかもしれません。
さらに、この言葉に共感した人は「自分らしさ」を押し付けられているのかもしれません。

「らしさ」とは、もっと、ずっと、物静かで、じわじわと蠢いて、他人や集団の思想を飲み込み、吐き出し、孤独なものなんじゃないかなとも感じました。

論語は、深いです。


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