飛騨高山へ
「この度は当旅館をご利用いただきありがとうございます。」と彼が堅苦しい挨拶をするので、「よっ、社長!。」と茶化してやった。 「いやいや、やめてくださいよ先輩!」といつもの調子の彼。
数年前に彼の父親が亡くなって、旅館の社長になり、沢山の従業員の生活を抱える重要な立場になったことや、嫁さんと結婚して一家の主となったり等、近況を話してくれた。 彼はガタイが大きくなっただけではなく、本当の意味で一回りも二回りも男として大きくなっていた。
その一方、彼の最近の悩みは、子供ができない、つまることろセックスがうまくいかないということだった。 そもそも彼は、うけのどMで、ノンケのタチ役なんていうのとは対極にあったからだ。 彼は跡継ぎも必要なこともあり、任務は急務であるようだった。
彼には最近僕もお世話になっている勃起薬を薦めてあげた。 彼はEDなんかじゃないと完全否定したが、心因性のEDで、僕のドうけの友達も勃起薬で立派にタチをすることができたことを話してあげた。 状況は少し違うのだが、彼は妙に納得したようで試してみたいとのことだった。
酒を飲みながら一緒にくだらない話や出会った時の話をしていると、こういうの懐かしいねと急に彼がいった。 僕は黙って深くうなずいた。
彼は結婚して以来ゲイ活動はやめていたのだけれども、それまで長く関係があった僕がそれ以降会ってくれなくなってしまったのがとても寂しかったと彼は告白してくれた。 それは僕も同じ気持ちであったが、僕はそれを彼には言えずにいた。
そして彼は、こう続けた。 彼は僕にとって沢山いる男たちの一人かもしれないが、彼にとっては僕は特別な人なんだと。
その言葉は実は違っていた。 本当は、僕のほうが彼のことを特別な人と思っていて、彼が結婚してしまった今、そんな不実な関係はいけないというもっともな理由をつけて、自分自身それを思い続けることが辛いことになるのでやめてしまっていたのである。
彼の告白に対して、僕が彼のことをどんなに思っているかを伝えようとしたとき、部屋のノックの音がそれを遮り、彼の奥さんがお酒とおつまみをもって来室した。
「久しぶりだと話が尽きないようですね。私とはこんなに話すことはないんですよ。」と笑みをうかべ冗談をいい、ごゆっくりしてくださいと挨拶をしそそくさと奥さんは部屋を出て行った。
僕は我に返り、その彼に対する思いは胸の内にそっとしまった。
僕は彼に、結婚した今は、ノンケの先輩のように彼と接したいということを思いに反して伝えると、彼は頷くしかなかった。
エッチも?と彼は冗談半分で聞いてきたが、俺にはたくさんの男が待っているから十分足りていると不本意ながら大見得をきった。
それでも彼は、ときどき寂しくなったらメールしますし、東京に行ったときには必ず連絡しますと言ってくれた。 彼の気持ちが本当にうれしかった。
すでに夜が遅かったので、その会は何もお互い期待したようなことは起こらずにお開きになった。
自分ではこれが一番いい彼への答えだったと思った。 そしてこれからも彼にとってノンケ先輩のような関係を続けることに決めたのでした。
その半年後くらいだったろうか、奥さんが妊娠したんだと彼から喜びの報告があった。