斎藤行雄
10年来の再会をしにいきました。
中学校の時おけつと路上で歌ってるミュージシャンのファンになって(半分遊び)勝手にファンクラブを開いたりして、ライブハウスにも2回ほど行きました。
でも、当時は中学生で貧乏なのでライブ1000円でも払えないので疎遠になってしまい、思い出の人になってました。
おけつが「いまは、財力もなんとかついたし久々行くべ」って言ったので、吐息でネットを駆使して探し当てて今日のライブに行きました。
日吉NAPというアコースティックライブです。
なんにも知らないのにひろすえも無理やり連れてきて、日吉で軽くお茶茶してライブハウスに入りました。
客の入りはちらほら。ライブといってもアコースティックなので頭を振りませんし、縦ノリでも無くしんみりしてました。
彼は斉藤行雄といいます。
中学校の時に出会ったとき、路上で「イカツクゼェ、燃えてくるぜぇ」とソウルフルに声を張り上げて歌ってたので大好きになりました。テープレコーダーをもちこんで影でこっそり録音してみんなにテープをあげたりもしました。
しんみりしたライブハウスで、まだ斉藤行雄の出番ではなく、前の人が歌ってました。
奇村 昇留(きむら のぼる)さんです
お目当ては斉藤行雄=イカツキ兄ちゃんなのですが、この奇村さん、死ぬくらいソウルフルで笑い死にそうになりました。
とくにDEAD OR ALIVEという曲がとてつもなく面白くて(本当は笑う歌ではありません)最後のシャウトが「ウギャーウギャォーウギャーウヒョー」って叫びまくってて、おけつと必死に笑いをこらえました。
歌詞もとてもネガティブでネクラな内容なのですが、本人はロングもひかんで、モンゴル人見たいでした。
そんで、僕はあまりにも笑いをこらえたのでうんこが漏れそうになってうんこをしてたら、斉藤行雄が登場しました。
顔もうるおぼえだったのですが、10年もたつと、さすがに老けていました。
顔を見ただけで、中学生日記だったじだいが蘇ってきました。中学校からのお友達おけつも思い出したそうです。
ライブもしんみりはじまり、歌を歌い始めました。
すんげぇ歌がうまくて、ちびりそうになりました。
歌も、歌詞も10年前に比べてやっぱり濃いものになってました。
暴露してしまうと、歌手になろうと思ったきっかけに斉藤行雄効果もあります。あのころから、斉藤行雄は兄で、斉藤行雄が僕の大人像だったからです。10年もずっと子供だったのでしょうね、僕は。去年の夏、今なりたいものはって聞かれて「歌手」って言ったら「そんなん、子供の夢じゃん」って軽くあしらわれた時がありますが、重度にショックでした。
イカ兄の大人像もまったくかわらず、やっぱり大人だ、斉藤行雄は大人だと、僕がまだまだまだまだ子供だなぁと感じました。
途中のトークの時も10年前と変わらず、多分10年間かわらず、どうでもいいことをしゃべって笑いを取ります。
福田官房長官の歌といって次の曲が始まりましたが、バラードでした。ささやき、スキャットで鳥肌がたちました。
歌の歌詞もあんまりよく聞き取れず、何を言ってるのかわからないのですが、雰囲気と音と表情、動きで音楽は奏でるんだなぁと切実に思いました。
そんで、2回目のトークが始まったときに、イカツキ兄ちゃんは、12年のアコースティックライブ生活を終わりますと発表しました。
たまたま思い出して、たまたまライブハウスが近かったから来たんですが、まさか辞めるとは思ってもいませんでした。霊的なものを感じました。
ほんで、12年続けてきて「継続は力なり」と感じたことや、いろいろなひとに出会えてうれしかったとか語るので、本当に悲しくなっちゃいました。
もうすこし、ちゃんとファンを続けておけばよかったとおけつとあとで話しました。
そして、最後の歌がはじまったのですが、ほぼアカペラで半分泣いてる様に見えました。
ほんの一部しか見ていませんが、ひとりのミュージシャンの生き様をかんじたわーっておけつと思いました。
普通に泣きそうになってましたが、ひろすえは眠そうになってました。
ナナナナーで最後の歌をギターを激しく弾きながら歌っていると、ギターの弦が一本切れました。
それも気にせず、最後まで歌い上げて、
「弦の切れ目が、縁の切れ目ということで」
といって、斉藤行雄のNAPライブは終了しました。
話しかけようと思ったのですが、彼を常に見守っているファンたちがいるらしく、思い出してたまたま来ちゃったーって僕たちは恐縮して、手紙を残して帰りました。
今日は日吉NAP最終日。
本当の最終ライブは4月、新横浜であります。
最後を見届けて僕も大人になろうと思いました。