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れいわ祭りでスピーチした島田雅彦氏
そのスピーチにさすが文筆家 さすが大学教授と感心した
その島田氏が文筆家であり大学教授であるその島田氏かを確認する必要があって
検索したところ ウィキの記述に気になる箇所があった
前回すでに紹介したが ここから読み始める人もいるかもしれないので
再度引用しておこう
デビュー時より「サヨク」を自称し、その後「ヒコクミン」を名乗るなどして体制を皮肉る立場を取っていたが、皇室を題材にした『無限カノン3部作』以降は、戦後皇室語録『おことば』を編纂し、「天皇が最も民主的」と発言するなど立場を変えている。
本をほとんど読まない私が島田氏の作品を知るはずもない だから興味もないが
「天皇が最も民主的」と発言するなど立場を変えている。・・・という記述には引っかかるものがあった
それが島田雅彦氏と「天皇」「皇室」とのかかわり 氏の考えを検索で調べてみたいという動機になった
その手掛かりとして前回は「無限カノン」3部作の検索から始めた
そして小説の皇太子妃となるヒロイン不二子がその設定から雅子妃といくつか共通するところがあるようだ
これまでの検索で皇室との関係で分かったことはそんなところだ
今回の検索のキーワードに「皇室」を入れたところ かなり詳しい評論に出会った
アサートNo309-3【雑感】真夏の夜の夢 – アサート(ASSERT)
【雑感】 真夏の夜の夢 by 大木 透この雑感でいろんなことが理解できた
大いに参考になったと感謝しておきたい
特にこの記述はある程度この三部作の大本になるものを知ることができた
「無限カノン」は三島由紀夫「豊饒の海」4部作、なかでも『春の雪』を思わせ、『源氏物語』の恋物語を現代において描き直す試みともいえる。
三島由紀夫との関連は前回の検索記事でも目にしていたが 『源氏物語』をも土台にしているのかと教えられた
さらにヒロイン不二子についての設定からある想像がなされていることも それが出版延期になった理由らしいことも
次の検索記事
島田雅彦:「無限カノン三部作」読了。 – 桂屋孫一のトウキョウ・アート …
この記事では島田氏を絶賛 特に「エトロフの恋」は前2作とはちょっと異なり、この1冊だけでも「別の小説」としても読めた。
と書かれていることからも分かる
そして「皇室の有り方に関しては、諸論有るだろうが、雅子妃殿下の現在のご様子を改めて考えるのにも、この小説は一役買うのではなかろうか。」
との感想も
次の検索記事
酔生夢死浪人日記
ビタミンI(愛)欠乏を癒やす「無限カノン三部作」
「天皇制には否定的な俺だが、皇室関連の記事にホロッとしたことが一度だけある。」と書くブログ主小説の土台となる設定や展開 皇室のかかわりがより理解できた
カノン三部作について 皇室とのかかわりはそこそこ理解できた
「アサ―ト」に寄稿した大木 透氏の感想が参考になった
曰く「『源氏物語』の恋物語を現代において描き直す試みともいえる。」
皇室を取り上げることがだから必要となったのではないか
王朝絵巻物語としての皇室 私にはそう思えてきた
そこにアメリカやロシアとの関連を描いて現代的な問題として表現しても
政治的意味合いは後方の世界に追いやられ 重要な意味を成すものは恋物語
小説の中での皇室の意味合いを私なりに解釈したところで
現実の皇室と島田雅彦とのかかわり氏の考え思想がどこに向いているのか
それを知りたくなる
次回の検索はそれが目的となる
次回(3)に続く
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先ず 「現代貨幣理論(MMT)」とは?
参考記事から
MMT提唱者ケルトン教授「中銀依存より財政政策」インフレにならなければ財政赤字の膨張は問題ないとする学説「現代貨幣理論(MMT)」の提唱者であるニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授消
費者の支出こそが経済のけん引役であり、「財政政策で人々の所得と自信を向上させることが必要」
日本で10月に予定される消費増税について「税金は支出能力の調整を通じてインフレをコントロールするためのもの。インフレでないなら消費増税は意味をなしていない」
「MMT」(Modern Monetary Theory=現代金融理論、現代貨幣理論)
たとえば日本は2%のインフレ目標に達していないので、さらなる財政支出の余地があるとし、「もっと積極的に財政政策を活用して、減税で成長を下支えした方がいい」
消費税については「消費増税の目的は消費支出を減らすことで、インフレを冷やすなら理にかなっている。
ケルトン氏を招いたのは、安倍政権で参与を務めた藤井聡・京大大学院教授(公共政策)ら。左派系で参院選では野党候補らを支援する松尾匡・立命館大教授(理論経済学)も加わり、「反緊縮」の学者が立場を超えてMMTの理論家を招く異例の形となった。
ステファニー・ケルトン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ステファニー・ケルトン(英語: Stephanie Kelton、1969年10月10日 – )は、アメリカの経済学者、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校教授。現代貨幣理論の主唱者
2016年のアメリカ合衆国大統領選挙の予備選挙でヒラリー・クリントンに敗れたバーニー・サンダース上院議員が予備選挙後に設立したシンクタンクであるサンダース研究所の顧問を務めている
現代貨幣理論ケルトンは、完全雇用やインフレーションを実現するために政府予算や財政赤字を積極的に利用すべきであるという「現代貨幣理論」 (Modern Monetary Theory) の強力な提唱者である[1][2][3]。
日本経済について、「失われた20年と呼ばれる状態に陥ったのは、インフレーションを恐れていたことが原因である」と指摘し、「デフレ脱却には財政支出の拡大が必要である」と主張している[6]。
今回は基本的な知識という意味で
検索記事を読んでみた
大方の理解はできたつもりだが
必要に応じて検索を続けてみたい -
今回の検索はこの記事から
大門実紀史のMMT論 – Blogos記事 紙屋高雪 2019年05月29日 22:24
大門実紀史氏は共産党の参議院議員 経済通で著書は経済関連本が多数大門の質問(参議院財政金融委員会2019年5月9日)の議事録全文を紹介してある
それを私も読み 気になった点を参考のために引用して置くケルトン教授は、資料一に戻りますけれども、そのいろんな批判された反論として、日本でやっているんだと、日本で成功しているんだと、実例があるじゃないかということでいろいろおっしゃっているわけですね。
財務省が、要するにどんどん借金しても大丈夫だよというような理論なので、慌てて火消しに躍起になって、財政審で、この三枚目から六枚目の資料ですね、こうびっしり出して、これも過剰反応ではないかなと私思いますけれど、
なぜこういう主張が欧米で力を増してきたのかということをやっぱり私たちは考えるべきじゃないのかなと思うんですよね。一言で言いますと、緊縮財政、緊縮政策に対する反発、もうたまりにたまった不満が爆発してきたのではないかと。これは日本でも言えると思います。
日本では二十年ぐらいですかね、新自由主義的なグローバリゼーション、規制緩和、小さな政府、緊縮、財政規律、社会保障を抑制して、増税して、我慢しろ我慢しろと。こういうふうないわゆる緊縮政策に対して、もういいかげんにしろと、政府は国民のためにお金使えと、場合によっちゃ借金してでも国民の暮らしを守れということなんですね。今まで政府が言ってきたような、日本の政府もそうなんですけど、財政規律とか緊縮というのが一体誰のための緊縮だったのかと。
小さな政府論があって、富裕層とか大手資本が海外に逃げないとかいろんな、そのために緊縮財政を押し付けてきたんじゃないかというようなことがだんだん分かってきて、そういうことも含めてこういう反発が起きて、ですから、私はこれ、不満の歴史的な爆発というふうに捉えるべきではないかと思うんです、
欧州の左派、イギリスの労働党のコービンさんとか、スペインのポデモスですか、新興左派ですね、で、アメリカのさっき言ったサンダース、オカシオコルテスさんというような人たちが一様にこの緊縮に対する反発、反緊縮という言い方されておりますけど、そういうものとして、対抗軸として出てきたのではないかと思うわけであります。
緊縮財政への反発が歴史的な背景にあるといいますか、あると。
財務省は一貫して財政再建至上主義、借金が大変だ大変だと危機感あおって、プロパガンダやって、もう社会保障は削るしかないと、増税しかないんだというようなことをずっとやってきたわけですね
財務省に聞きたいのは、緊縮財政にこんな過剰反応するんじゃなくて、今の財務省の緊縮政策そのものがもう歴史的に日本では問われていると、そういう認識をまず持つべきではないかと思うんですが、
このMMTの理論は、一つの知的なシミュレーションとしてちゃんと参考にすべきところは参考にして、何も全面否定、こんな全面否定する必要ないんじゃないかと思うんですよね
政府と日銀が一体だと考えるとどうなるかということを一つのシミュレーションとしてMMTの人はかたがた言っているわけでありまして、
シムズ理論、FTPLですね、これも何で一々こんなこと書くのかなと思いますけれども。これも一つの知的シミュレーションで見ればいいんじゃないかと思うんですよね
やはり中央銀行が財政ファイナンスをしても大丈夫、高インフレは起こらない、日銀はもう既に財政ファイナンスやっているからインフレにもならない、金利も低いんだと。やっているけれどもインフレにならない、金利も低いんだ、だからこれからも大丈夫と。これだけはちょっと違うのかなというふうに大変思っているところでありまして、
私、このケルトン先生好きなんですよね。何といいますか、心情的にね、人々を救わなきゃいけないというところからいくとですね。だからこそ、財政ファイナンスしても大丈夫だとおっしゃる根拠は何だろう、何だろうということでいろいろ見てみたんですけれど、はっきり大丈夫だと言える根拠が示されていないというのが今のところ、私の勉強不足かも分かりませんけれど。
国債の直接引受けと間接引受けはまず大きく違うと思っているんですね、そもそもこの日銀の議論の最初からですけど。銀行から日銀が国債を買うときというのは、既に銀行が国から買っているわけですね。そのときは、銀行は民間の、自分の判断として国債のリスクなりあるいは償還の可能性とかいろんなものを検討した上で市場価値を測って、その値段で買うなら買う、買わないなら買わないと、こう裏付けがあるわけですね、一定、市場のですね。
上記の記事にリンクされていた「しんぶん赤旗」の記事から
異次元緩和をやめよ 大門氏“正常化踏み出せ”日本銀行の「量的緩和策」政策による国債の大量購入について、海外からも「財政ファイナンス(日銀が国債を購入し政府の借金を支えること)」と見なされており、早急に正常化に向けて踏み出すよう求めました。
自国通貨建ての政府債務で財政破綻することはないとして赤字を気にすることなく財政支出を求める理論=「MMT(現代貨幣理論)」が日米で話題になっていることについて、「欧米でのMMT支持の流れは、各国政府の『緊縮政策』による国民負担への反発として起きている」と指摘。日本でも財政赤字を強調し国民に負担ばかり求める政府・財務省の姿勢は「緊縮政策」であると批判しました。
大門氏は、MMTを支持する人々への共感を示しつつ、「財政ファイナンス」容認については「過去の歴史を見ても高インフレを引き起こさない保証はない」と主張しました。
大門氏の国会での質疑全文とそれをまとめ報道したあかはた新聞の記事から 問題点を引用してみた
共産党のMMTに対する見方と懸念が示されているさらにMMTに関数る検索を続けて考えてみたい
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これまでの引用のまとめというか
私なりに理解したことを
不十分なりにまとめてみようかと思う
引用ばかりしていたのでは 果たして理解できたかどうか怪しいものだ
引用を多用して文字数を稼ぐのが目的になっている
それではたとえ1万字日記を達成しても何の意味もない
私の場合 分かったつもりでその実 何もわかっていないことが多い
また何も覚えてないことも多い
本を読んだとしても何をそこで学んだか まったく覚えていない状態だから
すべてが無意味に思えてくる
覚えていなくても私の血肉になっている 感情や行動のもとになっている
そう思うことで記憶の無さの言い訳にしている
だから自分のものになっていないから 自分の意見となりえない
だから人の会話に入って自分の意見を言うことも出来ぬ
会話の周囲に居て聴くだけの人間になっている
Twitterしていたとしても 人のツイートや考えばかりを気にする
そのためのチェックに時間ばかり取られて 何もできない
1万字日記を始めたのならそれを機会に自分の頭で考え自分の意見を書く
そうできるようになれば日記を書く意味があろうというもの
勉強が嫌いだから本も読まない だけど自分は何者かになれる人間 やればできる人間
それをまだしないだけ いつまでたってもモラトリアム
そんな言い訳をしている間に 男70代の死に時に突入
何もなせぬまま なせるはずがないままに人生の最終盤を迎えている
お笑い喜劇としか言いようがない
とまあ長い前書きになったが これとてMMTについての理解を書くのを先延ばしにしているようなもの
コピペでもいいじゃないか それを読めばいいじゃないかと逃げ道を探している
日本政府財務省関係者はMMT理論に対してかなり執拗な攻撃をしているようだ
それはなぜかというとMMT理論によると自国通貨を発行しているアメリカや日本は
通貨発行し財政出動してもデフォルトは起きないという
財政破綻するので増税しなればならない 国民は我慢しなければならないという理屈を
国民に押し付ける結果となっていないか
消費税増税は一時的な消費増加をもたらしたとしてもその反動が来る
それどころか消費増加も見込めないという統計も出ているという
インフレ2%目標がなかなか達成できないのは 消費マインドが冷え込んでいるからで
そこに財政出動しなければ意味がないという
いわゆる政府の政策は緊縮財政 その根拠は国家財政の累積赤字 財政の健全化という名での増税
ところが社会保障等に使うと言っていた消費税は 実質的には富裕や大企業の減税に使われた
そのためこれが格差ん拡大になっていくのだが 富裕層はより富裕に
大企業はより収益を増やし内部留保が最大に
当初説明されてきた企業の業績アップがトリクルダウンで労働者に還元されることもなく実質賃金はマイナスに
だから今政府がなすべきことは緊縮財政を強いることではなく 財政出動で消費者労働者の懐を温める政策
消費税を上げることはむしろ逆効果
問題は財政出動によるオン不レーション懸念 2%が目標というがそれをオーバーするインフレ
その心配はないというのがMMT論者の主張だが 例えば共産党の大門実紀史氏の懸念はその根拠が不明という
共産党は財政出動・・・日銀による「量的緩和策」は正常化すべきと主張 消費税増税に頼らぬ税収アップと
予算配分 使い方で財政の健全化を求めている
「財政ファイナンス(日銀が国債を購入し政府の借金を支えること)」を行ってもインフレは起きていないという証明に
日本の事例が挙げられているらしい それに財務省が反発 MMT否定に躍起になっている
それは増税の根拠を否定されるから その反発から反緊縮という流れができ その根拠にMMT理論が鳴っている
「財政ファイナンス(日銀が国債を購入し政府の借金を支えること)」でもデフォルト 破綻はないと
それに関しては過去の経験から高インフレになる県は払しょくされないとするのが共産党の主張
MMT論者は増税なしに反緊縮政策をとることで・・・消費者をうるおす施策で解決できると
MMTの問題点は?
「財政ファイナンス」で問題はないか?
消費税増税なしにどんな政策をとればいいのか?
反緊縮政策に代わるものは?
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無限カノン三部作について検索で知ったことの
私なりのまとめ
実際に本を読んでいないので・・・読む気もないが
誤解されないように書きておくと
本の内容いかんにかかわらず 私はもう本を読む気力がないということ
それだけの理由なので誤解のなきよう
熱心な島田雅彦ファンもおいでのことですので そのことを一言断っておきます
作品についてはどの場合もそうだろうが 賛否両論あるようです
受けて読み手によってそれは様々あって自然なわけです
いわゆる蝶々夫人以後4代にわたる恋物語のようだ
作者としては恋物語を描くことで 単なる恋物語ではなく歴史を
そこから描きたいという意欲があったのではないか
恋物語のモデルをどこに求めたか 観想で述べられたいくつかの共通点を見ると
源氏物語であり 三島由紀夫の作品・・・タイトルすら思い出せないので単に作品としておく
であったのかと思う
そこで皇室との関係云々だが 皇室とを話に関連付けるために源氏物語をモデルにしたのか
源氏物語をモデルにしたので皇室を描くことになったのか それは私にはまだ分からない
これ以前に島田に「おことば」?とかの作品があったとしたら
それがきっかけで皇室の問題を考えることにしたのか
しかし歴史と恋物語との関連で島田は 歴史に記されない裏の記録に男女の恋物語があるという認識があって
先に述べてように恋物語を描くことで皇室や天皇制を含む日本の歴史
あるいはロシアやアメリカとの歴史を描こうとする試みだったのか
オペラや音楽に見識が深いということからその題材を蝶々夫人に焦点を当てたのは面白い発想と思った
このオペラは世界的に有名な話であり音楽性も支持されている
物語の発想も広がりも壮大であり今日につながる問題性をはらんでいるので
問題作となりうる可能性は高いが 日本における皇室はかなりタブー視されている
暗黙にも公然としてもそのタブー性 戦前並みの扱い 敬語の使用
それとあいまって君が代日の丸問題においても戦後の歴史を否定し
戦前復帰すら思わせるほどの忖度ぶりにはあきれるばかり
退位した前天皇陛下御夫妻へ好感は持ってはいるが 天皇という地位と役割を思うとき
人柄の良さその好感度だけで語ることはできない
厳として象徴天皇制には国民支配に利用とする戦前回帰勢力の思惑がありその役割がある
そのことの考察位置づけなしに語ることはできない問題
果たして島田氏はどう取り上げ書いたのだろう
私が島田雅彦氏を検索しようと思ったのは れいわ祭りにおけるスピーチ
太郎君を熱烈に支持した内容と 皇室との関係をしりたくなったから
そこに若干の違和感があったから
れいわ祭りでの今田氏のスピーチは素晴らしかった原稿に書いたメモを読んだのだが さすがに書くことが仕事だと感心した
これからの島田氏に関する検索は
「無限カノン三部作」からは離れることになる
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今回は「おことばー戦後皇室語録/島田雅彦(編著)」についての検索遊び
マイケルと読書と、、
2009年 04月 12日
おことばー戦後皇室語録/島田雅彦(編著)本著は、実際の皇族の発言を時代順に、島田氏の解説とともに編集されたもので、無限カノン3部作の2年後に、出版されています。
検索遊びを無限カノン3部作から始めたのは偶然だが
結果としてはよかったようだ
何の知識もなく 検索だけで自分の関心事にたどり着けるかどうか
それは一つの賭けみたいなもので 結果はどうなるか分からない
分からないなりに進めていくので学問的意味はなく 検索遊びと呼んでいる
関係者の方々には はなはだ失礼なことかもしれないがお許しいただきたい島田雅彦氏に関する検索遊びは れいわ祭りでの島田氏のスピーチに感動したことにある
私の記憶にある島田氏なのかと確認するために検索 その記述の中に皇室との関係があった
れいわ祭りでの島田氏のスピーチとその記述との違和感と疑問
それが島田雅彦氏の検索遊びを始めた理由
今回は二つ目のテーマ・・・「おことばー戦後皇室語録/島田雅彦(編著)」ブログ主のyomodalite の以下の記述を読むと この本に好感を持たれていることが分かる
「おことば」は、新聞など、公的発言のみで、私的な発言は含まれていないので、折々に聞いたものや、歴史として知っているものばかりですが、こうしてまとめて読むことで、昭和、平成、未来へと、皇室が時代とともに歩んできた歴史が感じ取れます。
そしてこの本の章タイトルが紹介されている
さらの歴史学者 原 武史氏の文章
「おことば」と「お祭」――島田雅彦と三島由紀夫
が転載されていて参考になった
その文章の中から引用するが 島田がこの本を書いた動機にもあるいは皇室に対する思いにも関係しているかと思われる島田は宮中の賢所に立ち入ったことはない反面、皇室の一員であった高円宮憲仁とは、三軒茶屋の居酒屋でプライベートに会えるほど親交を結んでいたことが、『おことば』で明かされている。同書全体に滲み出る皇室に対する島田の親近感のようなものは、おそらくこのことと無関係ではないだろう。島田の「おことば」に対する関心も、実は個人的な体験に裏打ちされたものであるような気がしてならない。
三島との関連で最後の記述は興味深く読んだ
天皇や皇族の「おことば」に「君徳の偉大さ」を学んだという島田は、宮中で続けられてきた「お祭」に「祭司かつ詩人である天皇のお姿は活きてゐる」とした三島を、もっと強く意識するべきではなかったか。
また原氏はこの前の文章で
「三島には、日本政治思想史を専攻する橋川文三というよき理解者がいた。」
と述べ
「きわめて僭越ながら、私は島田にとって、三島にとっての橋川文三のような存在でありたいと念じている。」
とまで書いているということは 島田氏への最高の献辞になるのではないか
それもまた興味深い島田氏の本から離れるが yomodalite 氏はブログタイトル「マイケルと読書と、、」からも分かるように
マイケル・ジャクソンへの傾倒ぶりが敬愛ぶりが ブログ記事からうかがえる
その一部を記事カテゴリーからコピーすると☆マイケルの言葉
☆MJアカデミア
☆Dancing the Dream
☆マイケルの愛読書
☆マイケルジャクソン書籍
☆マイケルジャクソン裁判
☆MJ Birthday
MJ考察系
マイケルの顔について
マイケルジャクソン資料
MJ系ひとりごと
マイケルと神について
goofy grin
always happy私はこのことにも大いに興味を持った
それには一つの要因がある
かつて私はあるT大教授をいくつかの理由で尊敬していた
動画なども探してよく観ていた
それが昨年10月頃だったか ある民事裁判に原告側記者会見のニュースに触れ
関連記事を調べていると 尊敬するT大教授もその関係者の一人だった
Twitterを中心にT大教授や関係の他のジャーナリスト 著述家のツイートも追ってみた
そこでの発言や態度に私はかなり違和感を覚えた
その違和感がなんであるのか どこからくるものか
どちらの意見考えが正しいのか
この私の違和感を検証する作業は
ある意味自分自身の存在理由を確認証明する作業だと思った
T大教授について尊敬していたいくつかの点は崩れていったが
一つ残っていたのがT大教授もまたマイケル・ジャクソンの信奉者だった
私はマイケルについてはただ一点尊敬していた・・・We are tha worldの共同作詞作曲者
そしてチャリティCDの制作に貢献したということ
他の彼に関することはまったく無知といっていい
だからT大教授のマイケルを信奉するその根底にある思想 あるいは問題点についての考察は
まだ手を付けていなかった
T氏について覚えた違和感はつまるところ人間性の問題
これまで尊敬していたいくつかの理由を全否定することもないのだが
マイケル・ジャクソンについての考察を このブログを知ったことで
記事を読み考えてみようという気になった
これは全く意外な展開で よもやマイケルの記事としかもかなりの熱心なファンのブログに出会うとは
これも何かの縁だと思って無駄にしないようにと心した
いずれこの問題について考えることになると思う
そのことをうれしく思うし
この出会いをありがたく思う
今後に生かしたいと思う -
皇居の落書き
島田雅彦という者
2005-09-14 20:08:43 | 皇室の話
この記事では島田雅彦の「おことばー戦後皇室語録」についての直接の記述はないが
間接的に島田のある文章を通じて引用している箇所に前回検索した歴史学者原武史氏が登場しているので面白かった「新潮45」の2005年7月号において,島田雅彦氏の「女性皇族ご発言から見た戦後の「天皇家」」と題する記事がある。
内容としては,同氏の「おことば 戦後皇室語録」(新潮社刊)について,得意になって紹介するというものであるのだが,以下の記述については,気になるところである。以下がその文章からの引用して島田氏について「ボランティアというのは,如何にも押しつけがましいし,職業として作家であるのならば,客観的にも間違いなのではないか。」と苦言を呈している感がある
「天皇陛下,あるいは皇太子殿下,あるいは美智子皇后や雅子妃も,ひょっとして,僕と考えていることが近いのではないかと気付いた瞬間があったんです。」
「まあ,ボランティアの侍従のような気持ちがありますね。」
「ほかにも同じ考えの人がいます。入江相政二世を目指す坪内祐三や,宮中祭祀問題について根本的な見地から見直しを提唱している原武史です。僕を含めて三銃士ならぬ三侍従というわけです。」私としては前回の検索で登場した原武史氏と島田雅彦氏との親密な関係を確認できたのが面白かった
ゼロセットの日記とか
2006–08–15
『おことば 戦後皇室語録』島田雅彦
島田雅彦の高円宮殿下とのエピソードはすでにこれまでの検索で知るところだが
その一端をこの記事の本からの引用で知ることができた平成十四年に急逝した高円宮殿下にプライベートでお会いして、「天皇という仕事」について伺ったことがある。「一、生まれてくること 二、結婚し後継者を残すこと 三、国民のためになるなら、率先して死ぬこと」この三つに尽きるといわれた。武士道にも通じる死生観である。この三箇条は極めて簡潔だが、実践するのは容易ではない。もちろん百二十五代にわたる「万世一系」の家系という、気の遠くなるような時間軸もある。「存続」のスペシャリストとしては、世界に類を見ない存在であろう。生き残り技術の蓄積は、どの一族よりも膨大であるはずだ。故高円宮は三軒茶屋のある居酒屋で微笑みながら、こう呟いた。
−徳川?たった十五代しか将軍の座を守れなかったじゃないですか。天皇家は百二十五代ですよ。
(p75)この文章がいわゆる「おことば」の本の中での島田氏の解説文になるのだろう
このブログの最初の書き出しは
「皇室の公式発言を、島田雅彦が解説、考察するという趣向の本。」
れいわ祭りで感動的なスピーチをした島田氏は
皇室の公式発言から何を吸収しようとしたのだろうか
私が知りたいことの一つだ
れいわ祭りという選挙期間中の極めて政治的な場でのスピーチの意味するものと
皇室 象徴天皇制の考察とは矛盾しないものだろうか
むしろれいわ新選組であることが 山本太郎の選択を可能にしているかもしれぬ
私は他党の支持者であるが 太郎君・・・勝手にそう呼んでいる
太郎君を支持するのは無党派無関心層に訴える力と
支持層を拡大しうるカリスマ性にある
それは野党勢力を拡大強化するうえで
彼の果たす役割は大きいと言える
大衆の乱のリーダー的存在になる気がしている
既成の野党政党にない魅力を増している
心底政治に怒っている彼は
心底政治にあきらめ無気力になっているもののリーダーになりえる
島田雅彦氏が山本太郎に期待しているものは
政治に対する大衆の乱であって
体制変革・・・革命的変革ではないだろう
だかられいわ支持と皇室支持?とは共存しうる一応の私なりの現時点での見解
まだ検索は始めたばかり
さらに私なりの考察が深められるように
検索は続けよう -
今回はケルトン教授を日本に呼んだ学者たちの研究解説などの記事を探してみようその一人記者会見にも同で京大教授の藤井聡氏関連の記事から検索2019年7月17日【藤井聡】ケルトン教授来日! そのお気持ちに応えるためにも「正しい経済政策」を広めるべし。どのような経過で どのような人たちが招へいしたか
ご寄付いただいた皆様方に、心から御礼申し上げます。そして、ケルトンさんの来日プロジェクトを思い立ってからの数か月、それを実現するためにご協力いただいた、令和の政策ピボットやクライテリオン、経済101、三橋貴明さんとそのスタッフの皆さん、そして、京都大学のスタッフの皆さんをはじめとした、たくさんの関係者に、改めて御礼申し上げます。
三橋貴明氏については すでにYouTubeでケルトん教授にインタビュー動画を一つ観た次の検索は当然三橋貴明氏になる藤井教授の記事は報道された記事のタイトルを紹介し以下のことが書かれていた
ホントに素晴らしい記事です。こうした記事は、記者の皆さんがケルトン教授の話を正確に理解していることの証。日本国民の中でも、とりわけ、各社の記者の皆さんが、MMTをより正確にご理解されたことは、今回のケルトン教授来日の重要な成果の一つ、と言えるのではないかと、改めて感じています。
ケルトん教授の招へいが成功だったと評価さて藤井聡教授関連の次の検索記事は【藤井聡】ケルトン教授を招聘した、MMT国際シンポジウムを開催します!
これまで「国債発行は悪いことだ」という認識が、我が国では共有されてきましたから、実に様々な人達からMMTは「批判」されているのですが、それらのMMT批判が如何に不当であるかは、筆者も含めて、様々に指摘してきた通りです。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56429https://38news.jp/economy/13570
この記事についてはMMT理論を理解するうえで参考になる事かと
彼女はこれまで、MMT批判を展開した、ノーベル経済学賞を受賞したクルーグマン教授や元米国財務長官のサマーズ教授らに対して、徹底的に反論してきました。そうした米国でのMMTを巡る激しい論戦は、筆者の目から見れば、明らかにケルトン教授に軍配が上がるもの。
藤井聡教授によるケルトん教授とMMTの評価は高いものがある次いで藤井教授は 日本経済の立て直しにMMT理論は効果的だと説く
MMTの議論を日本でもしっかりと、そして「正しく」広めていくことが、日本経済の立て直しに非常に効果的なのではないかと考えました。しかも、今、世界中で大きなうねりとなり始めている「反緊縮」の動きを加速していくことが、「世界経済の立て直し」にとっても重要です。そのためにも、世界第三位のGDPを誇る日本が、GDP世界一位のアメリカとで、「反緊縮」の理論的支柱となるMMTの議論を通して、学術的、実践的に連携をしていくことが、重要な意味を持つものとも言えるでしょう。
そしてクルトン教授を日本に招聘し国際シンポジウムの開催する準備を始めたということですこれまでの経過が理解できましたそして以下の開催となった
日時:7月16日の午後場所:東京都内(調整中)主催:京都大学レジリエンス実践ユニット共催:表現者クライテリオン、令和の政策ピボットという格好で、MMTの国際シンポジウムを開催することが決定しました!
藤井聡教授によるケルトん教授へのコンタクトが実現するのだがその過程にはこの前の検索記事で引用した
令和の政策ピボットやクライテリオン、経済101、三橋貴明さんとそのスタッフの皆さん、そして、京都大学のスタッフの皆さんをはじめとした、
皆さんの協力があって実現したという経過が分かった先ずその経過を知ることが何の知識もない私にとって必要だったこれからその経過に携わった人たちのMMT理論についての考え方を知るための検索に移りたいと思う
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Haizara-Cho::Suigara-yama 383[Akiko Takata]
灰皿町吸殻山383 高田昭子のblosxom Weblogです
Sep 27, 2005
退廃姉妹 島田雅彦あらすじも書かれているのだが
あまりにも波乱万丈であらすじだけで理解するのも難しいが
「妹の久美子は女優になり、「肉体の門」の主役を演じて好評を得たが」
という記述からモデルがあるのかと思った
それならそれで興味が湧くところではある
天皇あるいは天皇制と島田氏との関係を探る検索という意味で
以下の記述が目についた
「この本来重いテーマを島田雅彦はスムーズにストーリー展開させながら、見事にその裏側には、島田特有の戦争と天皇制への皮肉あるいは批判が、チクチクと姿を現すのが小気味よい。」
また付記には次の記述が目を引いた
それは私自身も戦後2年目の生まれということもあるからだ
戦争体験のない島田雅彦が、何故このような小説を書いたのか、その後でずっと考えていました。そこに「小熊英二」という存在も浮かびあがってきた。まだ未読ですが、この二人の対談もある。つまり時代は受け渡されてゆく。戦争も国家も天皇制も、経験者は高齢化しました。今その実体験のない若い世代の視点から、新たにこれらの問題を雪ぎ直し、再検討されることは必要なことかもしれません。
青春と読書
巻頭エッセイ/本文を読む
島田雅彦 『君が異端だった頃』
[巻頭エッセイ]
『君が異端だった頃』スピンオフ作者自身の短文だと思うが
この箇所があるいは島田雅彦氏と天皇とのかかわりの初めかとも思える内容だったので 長いが引用して置く
私は初孫だったので、祖父母や叔父叔母には甘やかされ、何かというと、一歳年長の徳仁(なるひと)親王と比較された。若い皇太子ファミリーを高度経済成長期の理想の家族像と印象付けようとするメディアによって、天皇制民主主義は社会に定着しつつあった。私は否応なく「ナルちゃん」を意識することになったが、彼と較べて自分は恵まれていないと思ったことはなく、彼は将来、天皇になり、自分はアーティストになるのだと漠然と考えていた。奇しくも、「ナルちゃん」が天皇に即位した年に、私は自分の小説家修業の一部始終を振り返っていたことになるが、薄い因縁があったのかもしれない。
これ以降は偏食や体育が苦手だったこととか音楽 小説の話題が続く
小説に関して以下の記述は島田氏の覚悟がうかがわれて興味深く読んだ
本来、上手に噓をつく技を競うのが小説家であるが、あえて自分に関わる事実を包み隠さず書く技も勇気も持っている。恥多き人生を赤裸々に語ること、それは巷(ちまた)にはびこる下手な噓つき、自分が噓をついている自覚すらない連中の厚顔無恥よりも百倍道義的である。
この文章に出会ったのは収穫だと思う
hontoトップ
楽しいナショナリズム
著者 島田 雅彦 (著)みんなのレビューの記述に天皇 天皇制に言及している箇所があった
偏狭なナショナリズムを舌鋒鋭く批判していく軽快な口調は心地よい。
ところがこの本、著者島田雅彦と天皇制との微妙な関係を反映して、皇室について言及したくだりになると急に切れ味が悪くなる。島田は、新しい小説がお蔵入りになったまま出版の目処が立っていないということを本書で告白した。出版できない理由は、その作品が皇室のプライバシーに関連し、皇太子妃の過去を彷彿させる内容を含むからだ。右翼の襲撃恐喝を恐れた出版社は及び腰となり、島田も家族を危険にさらしてまで出版するつもりはないという。その判断は正しい。
この国にはタブーがある。言論の自由があると思われている日本にも、ただ一つのタブーがある。天皇制について自由にものが言えないようでは日本が自由な国だとは言えない。
したがって、本書で天皇制についての論評が口篭もるような歯切れ悪さを見せていることを非難してもだめなのだ。読者が行間を目を皿のようにして読み、紙背を深読みしなければならない。なんだ、島田は左翼のくせに皇室に媚びているな、などと思ってはいけない。このビミョーな距離の取り方、このスタンス、これをこそハラハラドキドキしながら堪能しなくては本書を読んだ面白みが半減するではないか。
そして、島田のいう、「一民族専門の王権から、より普遍的な役割、たとえばローマ法王とかチベットのダライ・ラマのごとき役割を果たし得るのであれば、これまでとまったく違う天皇像が生まれるだろう」という発言は、「五族共和」「八紘一宇」へと容易に転落する危うさを含みながらもおもしろい提案だ。ただし、肝心の他民族がそれを受け入れるかどうかは別問題。もう一つのレビューからの引用 上記と同様の引用になるが別の人が同じように島田氏の提案を引用してるのが興味深いのでここにも引用して置こう
引用の<>のこの箇所が「楽しいナショナリズム」の文中からの引用だろう
2050年になると、世界の人口は百億人で、日本の人口は少子化で何千万人と減少するはず。難民、移民を受け入れざるを得なくなり、天皇の象徴性も揺らぐことが考えられる。
島田は提言する。<たとえば、平和憲法の原理を守る役割を天皇が自任したとすると、日本国民でなくとも平和憲法の原理に共感し得る者は、他民族であろうと天皇を支持するであろう。つまり、日本人だけを救うとか日本人だけのために存在するというローカルな一民族専門の王権から、より普遍的な役割、たとえばローマ法王とかチベットのダライ・ラマのごとき役割を果たし得るのであれば、これまでと全く違う天皇像が生まれるだろう。>「楽しいナショナリズム」という島田雅彦の著書のレビューから
島田雅彦の天皇についての提言の一端を知ることができた
少しずつ私の疑問 島田雅彦氏の天皇 天皇制への考えや想いの一端
こんな形で知るのもおかしいだろうが
今の私としてはこの方法が最善だと思う
本を読むのはやめたから
人のレビューをこうして読んで 本の内容の一端を知る
もう少しこのテーマでの検索を続けよう -
昨日のこと 夜の段階で日記は6千字超え
だからその気になれば別に普通に書いても1万字は達成できたと思うが
何もやる気にならなかった だから日記も書かなかった
そして今日 午前中にnoteの編集とアップ作業はいつものように済ませたが
そのあと何もやる気にならなくて というか寝たい寝たいばかりで
午後 月一の診察から帰ったらずっと寝ていた 気持ちよく寝ていた
5時になってやることはやらないとと起きたけど
7時 さてやはり何もする気にならない
あることをツイートしようと思ったが
ツイート画面とにらめっこ それもキャンセルして日々さんに来た
いつもはさとちゃんちのコメントを午後にはかなりしているのだが
それも全くしていない状態 一応そんな自分のことでも書いておこうかとここに来たんだけどね
愚痴三昧という記事書いてるし これ愚痴になるかどうか・・・愚痴だろうね
気分にそんなにむらがある人間じゃないけど 眠たい・・・正確には寝たいだろうが
寝たい病 何もしたくない病ということで それを体が要求してるって言い訳して
要するにサボりたいだけなんだろうけど だったらサボりたい病だね
人間だからそんな日もあるっていえるけどね まだこうしてグチ書いてるからいいか
グチ書く気力はあるってことだから
まあ今の私の状態はこんなもの
これ他の日記に使いまわししよう 例えばnoteの高山の日記とか
あれは高山のことを書けばいいか ついでの字数稼ぎにこれ追加してもいいし
なんて字数の計算してるよ これだってできれば2千字超えたいなって気があるし
どこかでまだ意識してるんだよね それはそれでいいか
ちょっと手が止まった・・・話題替えようって思って考えてる状態
Twitterチェックしてみた
チェックという字 よく打ち間違えてチャックになってるんだよね
それもマジなツイートしてたのに おかしいよね
そこんとこ自分のドジさ加減はよく自覚している 早とちりと思い違いの名人だってこともね
だから結果はすべて自分らしさと思って笑えるようになったけど
若いときはちょっとしたミスひとつでがっくり落ち込んでたと思うよ
それで・・・ ツイートに何書きたかったというと それが気になってチェックいたんだよね
もうそれ考えるのよそう・・・面倒になった
私ごときが何を書いたとしても意味ないだろうからね
せいぜい私をフォローしている少ない人が知るだけだろうから
フォローしないしフォローされても返さないし
だれがフォローしてるか知らないし 全く関係ないけど
関係なく自分が言いたいこと書いてきたけど
ツイートする意味って何なの?って今思ったよ
何なの?書きたいから書く 言いたいから言う それだけでいいんじゃないの
他に意味あるの 何を期待してるの 期待してるから思うことじゃない?
それじゃなぜ言いたい書きたい それは・・・
言いたい書きたいと思うのが人間だからってことか
いろんなことに色々感じる 色々思う 思ったことは書きたい伝えたい
そういうことじゃないの
Twitterしてない人もいるわけで その人たちはどうしてるの
どうでもいいか 人のことは
NHKのオリンピック関係番組が始まった シンクロの取材を観てる
まあそんなこともありの・・・
ツイートするにもいろいろ考えだすと 何も書けなくなるわけ
まだTwitterとの付き合いを見つけてないのかな
べったりになるのは避けるようになったけど
その分さとちゃんちのコメントに集中してるし
それが結果的には1万字日記につながったわけだけど
昨日今日と 書く気にならなかった サボり病になっちゃった
これ書いた後 さとちゃんちに行ってこめんとすこしがんばるつもりだけど
もう1万字にこだわってないから できただけでいいと思ってるし
それを気にもしないので的に精神的に参ることはないけど
居やサボり病が出たということは精神的なダメージの結果か?
いやいやわたしの理解では肉体的ダメージを受ける前のシグナルと・・・
だから受け止めればいいと 逆らわなくていいと・・・
ここで千字くらいかな・・・チェック
1600強だった まあまあ
もう少し頑張って2千字まで持ってこうか これ欲だね
8時まで書くことにしよう それでジエンド
8時からはさとちゃんちのコメントを11時までの3時間頑張ってみよう
最低10件はしないとね noteに追い越されるから
しかし・・・さとちゃんちのブログ 見た人どう思うかな
何の反応もないから見る人いないってことか
いや noteでは読まれている
例えば今日アップしたさとちゃんのnoteは5人のいいね
昨日も同じ数のいいね いいねがなくても訪問者が多い日もある
さて8時を回ったのでここでやめよう
なんとか書いたのでいいとしよう やる気ない病dったのにね
おつかれおつかれ
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里恋詩くて・・・熊野・高野◎今日の観想詩・9/21(木)・・・・・作・9/20 20:40
【自然智】
週末には台風14号が接近すると予報しています。異常気象のままの秋、花も急いで咲いている気がします。そんな馬鹿なこと、、、なんやろか、、、。で、何時もいう、自愛しかないです。(管理人:SATO)コメントより
一郎
何時もいう、自愛しかないです。自愛
自分を愛する
自分を好きになる
あるがままの自分を受け入れる
自分を愛することが出発点
自分を愛する人は強い人
自分を愛する人は人をも愛する
自愛は慈愛
自分を愛してこそ
人にも優しくなれる
自分を愛する人は
自愛の真実性を考え求める
それは人間性の追求
人生の真実性を考える
自愛と人間性と人生の真実性
全人格の真実性
それを追求する人を信じる
言葉や文字で発信される思想 思い 考えは
表層的な事象 その裏付けとなるのは
自愛と人間性と人生の真実性
全人格としての真実性
それが信じられるかどうか -
捨ててきた・・・27日(土)NHK朝ドラ「なつぞら」から
雪次郎のセリフだが
私としてはその前の「逃げてえ」というセリフが重い
あこがれの女優との公演を終えてスキだと告白
拒否された雪次郎はどうするか
別に私は深く考えていたわけではなかった
ドラマにをそんなに気を入れて観てはいないから
しかし今朝の雪次郎のこの決断とセリフには参った
20の夏 夜行列車で郷里を出奔した
誰にも告げず家出した
責任からねげてしまった
すべてを捨てた
友人も家族も郷里も
夢も理想も思想も
逃げてしまった
それでも仕事先は見つけていたので
生きていくことは考えていた
こうなることは当然だったと言える
今は思う
人はその人らしさから逃れられない
自分らしくしか生きられぬ
どう悩みどう考えどう選択しどう生きるか
つまり人生は
自分らしさの結果
それが現在・・・今
今在る自分は
まさに自分らしいと
自分らしさをどう思うか
自分を自分はどう思うか
あるがままの自分を
好きも嫌いも
あるがままに受け入れる
ありのままを好きになる
つまらぬくだらない いい加減な人間だけど
そこそこ それなりに生きてきた
自分らしく生きている
まだ逃げてはいるが 逃げる自分も自分
負い目を感じて忘れずに生きてる
捨てた郷里には戻らない 戻れない
そう決めた
死ぬまで負い目を感じて生きればいい
それだけのことをしたのだから
捨ててきた・・・と言えぬ
言ってはならぬ
あくまで逃げてきたのだから
雪次郎は俳優の夢も恋も捨ててきた
しかし郷里に戻って家業を継ぐ決心をした
逃げたんじゃないから
郷里に戻れた
逃げて逃げて逃げまわり・・・
なお捨てきれぬ思いは何ぞ
新しい一歩を踏み出せぬのは何故
それも自分らしさの結果なら
死ぬまで自分らしくあればいい
中途半端なままで
いい加減なままで
無責任なままで
自分らしくしか生きられぬのだから
自分らしさの結果が
今なのだから
捨てきれぬ思いよ・・・
-
7月28日 Twitterをチェックしていた時
下記の記事を目にした
参考になると思ったので必要な個所をメモ代わりに引用してみる
特別寄稿 中野剛志 消費増税も量的緩和も愚の骨頂!MMTの基本は単なる「事実」!
問題は、通貨のほとんどを占める「銀行預金」と貸出しとの関係である。銀行の預金が貸し出されているのではなく、その反対に、銀行が貸出しを行うことによって預金が生まれているのである。これを「信用創造」と言う。
現金は、なにゆえに通貨としての価値をもち得るのか。それは、政府が価値を与えているからである。
この単なる「事実」が、主流派経済学者や政策当局者を大いに動揺させたのだ。なぜなら、この貨幣の「事実」から導き出される財政金融政策のインプリケーションは、主流派経済学者が主張し、政策当局者が実施してきたものと、180度も異なるものだったからだ。
ハイパーインフレは起こらない
Ⅰ 日米英のように、政府が通貨発行権を有する国は、自国通貨建てで発行した国債に関して、返済する意志がある限り、返済できなくなるということはない。
政府が支出を野放図に拡大すると、いずれ需要過剰となって、インフレが止まらなくなってしまう。このため、政府は、インフレが行き過ぎないように、財政支出を抑制しなければならない。
政府の財政支出の制約となるのは、政府債務の規模ではなく、「インフレ率」なのである。
インフレが制御不能となるハイパーインフレの事例というのは、戦争や内乱で供給能力が破壊された場合、独裁政権がでたらめな経済政策を行った場合、旧社会主義国が資本主義の移行の過程で混乱した場合、あるいは経済制裁により禁輸が行われた場合など、極めて異常なケースに限られる。
先進国の民主国家が、平時において、財政赤字を拡大し過ぎてインフレを止められなくなったなどという事例など、皆無だ。それもそのはず、物価の高騰は、国民の不満を高めるからだ。民主国家が、民意を無視して財政赤字を拡大し続け、ハイパーインフレを起こすのは不可能なのだ。
Ⅱ 国家財政に財源という制約がないということは、課税によって財源を確保する必要はないということを意味する。
インフレを抑制するために、課税が必要となる。
つまり、増税は、インフレ抑止の手段なのだ。逆に言えば、減税は、デフレを阻止する手段である。
課税は、財源確保の手段ではなく、物価調整や資源再配分の手段なのである。日本は、長期のデフレ下で、消費増税を行い、今年、再度、消費増税を予定している。これは、MMTからすれば、デフレを悪化させる愚行でしかない。
MMTが突きつける不都合な「事実」
Ⅲ 量的緩和では、貨幣供給量を増やすことはできない。黒田総裁率いる日本銀行は、2013年から大規模な量的緩和(準備預金の増加)を実施し、貨幣供給量を増やしてデフレを克服しようとしてきたが、結果は、周知のとおり失敗に終わっている。
デフレ下では、企業など借り手に資金需要が乏しい。それゆえ、銀行は貸出しを増やすことができないので、貨幣供給量は増えないのだ。
Ⅳ 財政赤字が民間資金を逼迫させ、国債金利を上昇させるというようなことは、あり得ない。
政府が財政支出を行うと、支出額と同額の民間預金が生まれる。つまり、財政赤字の拡大に依って、貨幣供給量は増えるのだ。
1997年の消費増税以降、デフレに陥り、2014年の消費増税によってデフレ脱却に失敗している。量的緩和が物価上昇に失敗している。そして巨額の財政赤字にもかかわらず、長期金利は世界最低水準で推移している。いずれも否定し得ない「事実」である。
行うべきは「減税」と「財政支出拡大」
10月に消費増税を予定している。消費増税による景気の悪化に対しては、政府は景気対策を、そして日銀は量的緩和の追加を行う構えである。しかし、その結果は火を見るより明らかだ。デフレ不況の深刻化である。
消費増税による不況を景気対策で克服すると言うが、それは、増税による税収を上回る規模の財政支出を行うしかない。ならば、なぜ、そもそも消費増税をしなければならないのか。社会保障費の財源として必要だと言うが、既に述べたように、課税は財源確保の手段ではない。自国通貨を発行する政府は、そもそも財源を懸念する必要はないのだ。
量的緩和でこれ以上金利を下げてしまったら、銀行の経営を圧迫し、かえってデフレ圧力を引き起こしかねない。
日本政府が行うべきは、消費増税の中止(できれば減税)、そして財政支出の拡大である。量的緩和についても、それを終了する「出口戦略」を模索すべきだ。要するに、主流派経済学や政策当局の主張とは正反対のことをやるべきなのだ。
GDPと財政支出は、ほぼ相関している。1990年代後半以降、財政支出が抑制され続けているが、同時にGDPも成長を止めている。そして、マネタリーベースがいくら増えても、GDPは増えなくなっているのである。
この記事は理解しやすかった
それはこれまでの検索による知識の積み重ねがあってのことだろうが
MTT理論の主たる内容とその根拠
それを猛烈に批判制している政府や主流派経済学
事実をもとに展開MMT理論学派との対比が面白い
事実は何かという判断にもつながる
緊縮財政で国民に増税を強いるのはなぜか
成果の無い異次元の金融緩和を固辞し続ける根拠は何か
この経済の現実的問題を国民が共有し得ないのはなぜか
政府の緊縮財政批判が主流にならない原因は
経済界はMTT理論をどう受け止め対処しているのか
この間の大企業の内部留保の増加との関係は
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「当事者のエゴが時代を変える」。吉藤オリィが参院選で見たある風景
ツイートで知ったnoteの記事その内容については読んでもらうことにして
「当事者のエゴが時代を変える」という言葉に私が思うことを
記事の内容とは関係なく考えてみたいと思った
それは吉藤オリィ氏には申し訳ないと思うが
私のわがままをお許しいただきたい
記事の内容にはもとより大いに共感を持って読ませていただいたことを
書き添えておきます
エゴ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エゴとは自我 – 英語でego のこと。自己を対象とする認識作用、哲学および精神分析学における概念。
利己主義 – エゴイストの略 – 利己主義者。自己の利益を重視し、他者の利益を軽視、無視する考え方。
ランボルギーニ・アヴェンタドールSのドライビングモードの一種エゴイストの略としての「エゴ」を考えてみる
どうだろう・・・エゴイストという場合 言われた場合
否定的な意味合いに捉えがちだと思うが 果たしてどうか
「他者の利益を軽視、無視する考え方。」その意味合いが「エゴ」にあるとすれば
やはり否定的印象も当然だと思われるが 私は「自己の利益を重視」することと
「他者の利益を軽視、無視する考え方。」とはけして相反しないし 矛盾しないと考える
先ず自分の利益を重視するということ つまりは幸せの追求と考える
自分が幸せになってこそ 他人を幸せにすることができる
自分を犠牲にする必要は全くない その犠牲の上に他人が幸せになれるか
他人は人の犠牲を求めるか 自分の幸せのために 否であろう
人それぞれ 幸せは一律ではないだろうし みんな違っているだろう それでいい
人は自分の幸せ生きがいを求めていい 求めるべきだ そして幸せになればいい
そのことは 人の幸せをも尊重することにつながる
なぜなら 他人の幸せを妬みひがみ否定することは
自分が求める幸せを否定することになる
自分は他者から見れば他人 自分から見た他人と何も変わりはしない
自分は他人であり 他人は自分である
そこで私の「エゴ」についての結論は
いみじくも「当事者のエゴが時代を変える」と表現した吉藤オリィ氏の考えと重なる
幸せになりたいという「エゴ」による動機は 自分を幸せにするにとどまらず
他人をも幸せにすることにつながる またそれは時代を変えることになるかもしれない
人は自分の心に耳を傾け 心の求めるものに忠実であればいい
自分は自分らしくしか生きられぬ
自分を信じるしかない
信じられる自分でありたいものだ
自分を信じ自分を愛し自分の幸せを求めよ
その道は人をも愛し人をも幸せにする道
自分を信じることだ
「エゴ」のために「エゴイスト」であれ
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朝起きると
観るわけではないが
習慣的にテレビはNHKをつけている
夕方朝ドラの再放送
ゲゲゲの女房?だったかな
ふとこんな言葉が耳に入ってきた
「神が差した」
魔が差したという言葉があるが
その逆の意味で使われていた
読者からの熱烈なファンレターのおかげで
墓場の鬼太郎?をまた書くことになった
読者にファンレターを書かせたことを例えて
「神が差した」と表現したのだが
全く想像もしないその言葉に驚き感心してしまった
魔が差すとは
自分でも思ってもいないことをいてしまった
悪魔が入り込んでついつい悪事を・・・
という感じで悪いことをしてしまったときに使う
それとは真逆で普段はそんなことをしないのに
なにか神がかりのようなこと
他人にとって有難い とてもいいことをした
それが「神が差す」
悪魔に対して神を対峙させた妙味
脚本家の造語か モデルとなった漫画家が
実際に使った言葉か それは分からないが
架空の妖怪たちをたくさん想像し創造してきた漫画家ならば
案外そんな言葉も造ったのかと想像する
実は「かみがさした」で検索したら
同じことをメルマガに書いているお方がいた
【68通目】「神がさす」魔がささず、神がさす!
そのお方のすごいところはその言葉をテーマにかなり長い詩を書かれていること
言葉があふれ出る勢いを感じる詩でした
私には想像もできない世界
私には短い詩すら書けません
同じ言葉に興味思ったとしても
そこから何がどう展開されたか
この差は大きなものがあります
でも私としては
人は人と思うしかありません
自分は自分
自分の思うことを書けばいい
そう思うことでこの文章も書けたわけです
しかし私にもいつか「神がさして」
思いもよらぬことが書けたらいいと願ったのですが
やはりドラマの中の話でしょうね
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姉さんというのは
もう50年近く同居している女性
21歳年上だから姉さんと呼んでいる
ベッドに寝たきりになってもう5年ほどなる
ちょうど先週の土曜日
朝から様子がおかしかった
熱があるときのように
口でプップという感じで息をして
目はうつろで呼びかけても返事反応為し
その前兆は前の日にあったようだ
今思えば午後のオヤツの時に
お昼に食べたもの・・・流動食ではあるが
それを戻してしまった
夏場熱中症が多いというので
93さいという高齢であるため
用心のために点滴を打っていた
おの日の朝食はこれまでと同じように
レーズンロールをミルクに浸して
さらに噛んでドロドロ状態にして姉さんの口に入れる
そうやって元気な時は2個食べていた
はじめの頃は1個だったが
食欲が出てきていつか2個食べるようになった
その日は1個だったがまだ普通に食べていたと思う
10時ごろに水分補給におおきめのぜりーをあげた
それもいつも通り食べたと思った
そしてお昼前の更新の時
ちょうど姉さんが食べたものを吐いた時だった
これまでめったに吐くことはなかったが
思えばそれが前兆だったか
点滴をしてもらった
先生が帰るころには痰がらみの咳も少し治まった感じだった
咳は続いていて姉さんは苦しそうだったが
意識はまだ普通にあった
そして翌日
朝から普通じゃなかった
意識もなかった
体坐全体から力がすっかり抜けていた
それでも午後になって・・・二時ごろから咳も治まり
静かに寝たように思った
それで少し安心したが
咳で疲れて眠ったとしても
このまま目が覚めなかったらという不安になった
それほど長く寝ていたからだ
食事もとれない 翌日は点滴はお休み
これでは問題だと思って
土曜日の午後は診療所は休診なのだが
救急の電話を入れた
受付の電話は留守電になっていて
関連の大きな病院への連絡を告げるだけ
私の場合は寝たきりになった時に
救急の支援を受けられる契約をしていた
そこに電話して姉さんが意識がない状況を話
とりあえず日曜日の点滴を依頼した
診療所からかかりつけの訪問看護センターに連絡
そこから看護師さんが様子を見に来てくれることに
そのあと担当の先生にも連絡が言ったようで
心配だから診察に行くという電話
そして7時に往診
その診察の結果が脳梗塞か脳内出血
ほぼ間違いないという
このような場合は本来なら入院検査となるのだが
先生もそれが普通だし自分もそうすることを勧めるという話
私はかねてから入院はしない 延命治療はしないと伝えていた
私たちの申し出は十分承知されていて
とにかく毎日点滴は続けるということに
そして何がいつ何時起きても不思議ではないと言われた
覚悟しておきなさいと言う意味に捉えた
元より私はそのつもりでいた
いよいよその時が来たという感じだった
心の準備は党の昔にできていたので
まったく慌てることなく先生の話を聞いたし
私の希望を伝えた
姉さんの古くからのお友達の一人が
遠くからだが毎日見舞い来てくれたに
そして水曜日のこと
意識が戻って一言二言話すようになった
驚きだった
水曜日は担当の先生の往診日
その時 脳梗塞は最悪の時点から2~3日経過すると
脳の腫れが引いて少し回復することがある
さらに2~3日後 よくなることもあると話を聞いた
その経過通りになっている
まだ時折咳はするが
口から飲み物食べ物の摂取ができるよになった
ごえんの危険性があるので注意しなければならないが
日に日に元気になっているのを感じる
土曜の今日は驚くほど話せるようになった
もう私は姉さんの死のことしか考えていなかったが
それが申し訳なく思える
まだまだ死にませんよと言われている気がする
うちに来る人みんなが喜んでいる
昨日はお風呂にも入った
みんなから好かれているのだ今咳が続いているので吸引してみよう
さほど効果・・・痰が吸引できている湯には思えないが
しないよりはましかもしれない
少しでも苦しく無く眠れたらいいと思う
-
今日は日曜日 誰も来ない日だが
このところ点滴を毎日しているので
看護師さんが10時前に来て処置
そのあと水分補給にゼリーを食べていた時
日曜というのに担当の先生が来てくれた
姉さんの為というより
私が安心するだろうという配慮
そのことを何度も言われた
昨日も土曜は午後休診にもかかわらず
診察を終えてきていただいた
姉さんはどちらかと言えば先生との相性はよくないようで
儀礼的な挨拶はするが さほど好意は感じていない
私は調子よく先生に愛想を振りまいている方だ
今回姉さんが意識不明状態になって
おそらく脳梗塞か脳内出血だと言われたときに
かねてより高齢の姉さんの治療に関しては
入院はしない 部屋で出来る処置をしてもらうということを伝えてあった
こちらの考えは先生からすれば普通じゃないのだが
医師といての立場考えを固辞することなく
私の意見を受け入れてくださった
姉さんの状態が急変した土曜の夜とその翌日の日曜日
やはり心配だからと様子を見に来ていただいた
姉さんのことだけではなく
私のことも心に留めていただいてることに感謝している
それから姉さんの古くからのお友達の恵美子さんも
用事がない日は遠くからお見舞いに来てくれる
その都度私の弁当やおやつも買って
もう元気になったので来なくてもいいですよと一応断ってはいるが
毎日朝電話で姉さんの具合を尋ねられる
姉さんは寝てることが多いのだが
今日は起きていたので電話の恵美子さんの声を聞かせた
練習では「恵美子さんありがとう」「恵美子さん元気です」と言えるのだが
いざ受話器を渡すと頷くばかりで声が出ない
以前も恵美子さんに姉さんの声を聞かせて安心してもらおうと電話したが
練習の時はちゃんと話せるのだが 本番となると声が出ない
姉さんは本番に弱いんだと思った
照れくさいのかな
特に他の人がいる時なんかは
私と二人だけの練習の時にはちゃんと声を出してくれるのにね
でも確かに発生は難しそう それが脳梗塞のためか
今の状態になる以前から栗が効けあくなっていたのが
その前兆だったのだろうか
でも昨日の夕食時 姉さんは単語だけではなく文章を口にした
つまりは会話が少しだけできた
大きな進歩だと思っている 進歩というか回復というか
まだ姉さんから自発的に声を出すことは少ない
まったくないとは言わないが
「元気です」とか「ありがとう」とか「さようなら」とか
自分から言ってくれるようになるといいのだが
しかし何事もそうだが 私の信条は・・・期待しない
今回の姉さんの件でも 状況が少し回復基調にあるとはいえ
私は何も期待していない
何が起きるか分からないし
何が起きても不思議ではないからだ
93歳の高齢の姉さんであるからなおさらのこと
口から食事できるようになったので喜んではいるが
一つ間違えばごえんから肺炎になり
それが原因で急逝することもある
何が起きてもおかしくない状況
そろそろ点滴もやめる時期に来ているだろうから
食事が大切になるし これまで以上に注意しなくちゃ
ドリンクにしろ嚙みくだいた食事にしろ
一口飲み下すまでかなり時間がかかる
をれに問題はないのか
あまりに時間がかかりすぎる
のどに異常でも
こういうこともありなのか
食べたくないと誤解してしまうこともあった
それから先ほどんこと 5時前だが
私が目が覚めてトイレに行くと
姉さんもすでに目を覚ましていた
掛布団をずらしていた
どうしたのと聞くと 痛いと声を出して言った
下腹部といったいいのか さすりながら
これまでも痛いと言ってさすってたので
痛み止めをその都度飲ませていた
今まで間股の付け根ややはり下腹部
それより少し下になるのか
そしたら陰部?鼠径部
その辺の医学的部位の名は分からないが
先生に確認する必要があるかも
これまでは股関節という判断をしていたのでね
でも痛いと言ってさするところは恥骨?の上の方
やはり鼠径部でいいのか?
6時を回ったので
起きるのは7時だからまだ間があるが
これを書くのをそろそろ終わろう
今韓流ドラマの日曜更新の観たいドラマを再生しながら書いている
「ロイヤルファミリー 第3話」
以前 途中から見たことがあるが
結果もあらすじも忘れている主役の彼・・・チソン
何故かもう一つ好きになれないので
最後まで見なかったかもしれない
彼に対する見方が変わりそうなのは
結婚相手にるかもいれない
イ・ボヨンの作品をよく見てきたからかな
結婚してることも知らなかったし共演してることも知らなかった
そもそもチソンに興味なかったから
6時半になったのでドラマの話はこの次に
でもそもそもこの日記は姉さんのことを書くのだから
ドラマのことは他の日記にすればいいのか
なにかもう一つテーマを見つけて
日記を書きたいと思ってた
さとちゃんちのコメントまとめと高山のnoteから
この二本立てがメインだったけど
もう二つほど日記があれば
そしてその二つに泡えて3千字ほど書ければ
1万字日記は9時までに達成できる
そんな計算をしていたからね
この先はまた考えることにしよう
そしてとりあえずこの記事をアップし
1日の日記に追加しよう
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月曜は姉さんの入浴サービスの日
入浴は大好きな姉さんだから嬉しいはずなのだが
感情表現はまだ十分戻っていない
言葉もほどんど話さない
時折あれっと思うことを言う
今朝なんか
起きて一発目のあいさつの時
「電気つかへんねん」という
寝ている間は豆電球にしているが
寝てきりなので届くはずはないのに
そして下腹部をさすりながら
「ここ いたいねん」という
痛み止めのクスリのもうねといって
先ず下の掃除?処置?
何というのが適当だろうか
オムツ交換なんだけど
こんな感じで一日が始まった
いつもはレーズンロールにジャムつけて
ミルクか栄養剤に浸してドロッとなる感じに練りこむ?
すると石工食べてくれる
例えが悪いがツバメの子が口を開けて待っている感じ
それぐらい食欲があるとこちらは嬉しい
以前食欲がないとき 口を無理からに開けて栄養剤や食事をやってた
なんといっても元気の素は口からの摂取
点滴を打ってもらってるので水分補給は少しは気が楽だが
それだけで足りるのではないそうだから
さてその点滴の話が「イタ~~イ」につながる
往診の時に寄ってもらうのだけど
姉さんの血管は細いらしく どこに打つかいつも探すのが大変みたい
以前は手からだったが 同じところばかり使うわけにはいかないようで
最近は足先にも打つ
ベテランの看護師さんだったが どこに打つかかなり迷って
いよいよ足首ちかくに針を入れると
姉さんが「イタ~~イ」と大きな声
いつも声が出ないのに しかも大きな声で「イタ~~イ」と
なかなか針が血管に入らず何度も「イタ~~イ」と
私は痛いのはかわいそうだが 大きな声を聞けたことがうれしくて
むしろ笑ってしまった
看護師さんもそんなことで同様するひとではなく
足を変えて打つところを探している
何とか血管に針が入って血が少し点滴の細い管に流れ込む
それが血管に入った証拠なのだが
そしたら点滴の流入調節のつまみを回して液の落下を確認
看護師さんが帰られた後 しばらくして点滴を確認したら止まっていた
足の位置を少し変えたりしたが点滴液は落ちない
診療所に連絡すると あとで来てくれることになった
というわけで再度の血管探しが始まる
今度は姉さんは眠っていたようで
痛いという声もなく点滴完了
今度は最後まで点滴は何事もなく無事終了
姉さんは痛い思いをしただろうが
私は何度も姉さんの大声を聞けてうれしかった
というくらい話せなくなっている
思えばそれが脳梗塞の前兆だったのだろう
すでに脳の障害が始まっていたのだろう
それを脳の障害 脳梗塞や脳内出血とかに考えが及ばなかった
意識不明という形で突然の症状に驚いた
一度奪われた脳機能の障害は元戻らないという
姉さんの場合話すことが困難になったが
全く話せないわけではない
二日ほど前から単語だけではなく
文章として会話?ができるように少しなったと思う
高望みはしないが少しほっとしている
試しにしりとりしてみた
本人もその気になったが
「う」の付く言葉で「うさぎ」と答えた
しりとりはこの一語だけだったが
それでも十分だ
しりとりをしたのはなぜかと言うと
今日午後に来てくれる訪看さん・・・訪問看護師さん
私がつけたニックネームは「しりとりの師匠」
まだ姉さんが元気な時にしりとりでよく遊んでくれたから
さて今日の午後 どうなりますか
しりとりができますでしょうか
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何か日記を二つほど書けないかと思っていた
ここにはこれまでいくつかのテーマで書いてきたが
今は何も書いていない 書けなくなったという状況
なぜかは自分でもわからない
もう二つ日記が書けないかと思ったのには理由がある
mixi日記に1万字書くという目標を立てた
ある時期 およそ一ヵ月ほどそれは達成できた
もはや1万字日記が日常になったと豪語したが
それは1万字書けるまでやめないということで達成できた
書くまでやめないのだからひと眠りして
例えば4時起きでそこから書きだしたり
昼までかかってやっと達成したりで
いわゆるに日常態勢で1万字日記を一定化していた
言って見れば異常事態
それは体の変化に現れてきた
無性に眠くなる・・・睡眠部置く状態だから当然のことだが
それにしても眠たい日が続いた
これは体の警告だと思った
体・・・脳が自己保存のプログラムから
体が崩壊する前に警告を発していると
そう思って1万字にこだわるのをやめた
0時までにできなければそれでよいと
そこで日記のメインはさとちゃんのブログへの毎日のコメントまとめと
高山のnoteの日記部分だけになった
この日々さんの日記はなぜか書けなくなっていた
そこで新たに何か書ける内容の日記がないか考えていた
毎日書けそうな内容の日記を二つほど
そうすれば普通に書いて1万字日記達成できそうな気がする
いやできるはずだと
そして一つは二日前に始めた
姉さんの日々というタイトル
私の介護日記みたいなもの
これなら毎日に姉さんの様子を書ける気がする
なぜかこの手の日記は書くのをためらっていたけどね
そしててそのに木を書いている時にふと思ったのが
毎日観ている韓流ドラマのこと
これまでも何回か取り上げて書いたりしていた
ドラマの中の気になる言葉をピックアップしたりして
なぜか毎日韓流ドラマを観ている
日本のドラマや他の外国のはまったく観ない
韓流にハマったのは「冬のソナタ」のあとから
話題になってた頃は観るのを敬遠していた
ブームが去った頃に観る・・・私のアマノジャク的性格
それ以来だろうか 韓流にハマったのは
韓流ドラマについて書く材料を持っているわけではないが
何か書けそうな気はしている
些細なことでもいいならね
私なりの韓流の見方になるけどね
そこで今観ているのが・・・実は観ながら書いているのが
「黄金のポケット #44」
途中から観始めたので内容の経過はよくは分からないが熱心に観るというわけではないが
他に観るものが今日はないから観ているという感じ
記憶喪失・・・交通事故の結果のようだが それもわけがありそう
そして医療ミスは後輩の失敗の身代わり? その後輩の母親と妹が
ドラマの敵役というところ
わけあって餃子屋さんの家族の一員になっている
実は無くなった息子の代わりということで兄さんという立場
その妹分になるのが その兄さんに恋心を感じ始めた
医者だった兄さんの恋人は
恋人のそんな事情で彼から去ったのだが
またよりを戻したいと思い彼に接触
妹はTV制作会社のPDだったが 制作した番組のトラブル
それは自分の父親の餃子店を取り上げたもの
料理研究家?が父親に話を聞くというものだった
その彼は妹に好意を持っている
そして父親はTV会社の社長
料理研究家?には弟がいるがどうやら腹違いの兄弟
その義母は行方不明の娘?を探しているようだ
若しかしたらその娘が餃子屋の娘 妹のような感じ?
つまり餃子屋の三姉妹の一人は訳ありという設定
「黄金のポケット #45」の再生が始まってる
ここで初めてキャストを見てみる
参考にするのはいつも「キャスト&登場人物EX(画像付き)」のサイト
ここはキャスト個人の作品一覧にリンクされているので非常に参考になる
★
ハン・ソクフン
胸部外科医キム・ジハンの出演作は多いが 私は見ていないので
このドラマで初めて見ると思うリュ・ヒョヨンは作品一覧では「家族の秘密」は観ているが
彼女の印象はない餃子屋の父親役はアン・ネサン
彼の出演作は確認するまでも無く非常に多いはずだ最近配信が始まった「ロイヤルファミリー」にも出ている
私の記憶にあるのは「メイクイーン」の義父役
タイトルを確認したが記憶に間違いなかった
もう一人出演者に記憶がる
△
ウン・カプジャ
PJグループ創業者ソ・ウリム・・・記憶では「オーロラ姫」
例のキャストのサイトで確認しよう
たしかに・・・オ・ロラの母役立った
穏やかで品のある役がピッタリで印象的だった
「黄金のポケット #46」の再生が始まった
3話ずつ更新されるようだ
気になるキャストを取り上げてみた
まだまだ続きそうなので内容の気になるところを
これから観ていきたい
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今 12時10分
いつもならそろそろお昼の準備という時間だが
今日はもう終わって姉さんは昼寝するかなという感じ
なぜ早かったかというと 私もだが姉さんがお腹すいたと
それが11時半 朝食はしっかり食べたのにね
しっかりといっても姉さんは普段から小食
それを時間かけてゆっくり食べる人だった
入れ歯がもうずいぶん長く使っているせいか少し合わなくなってきたのもあるだろう
私はせっかちだから ものの数分で食べ終わって寝どこに戻り
歯磨きしながらPCいじっている
朝食はご飯好きな姉さんだからとごはんにしていた
ところがこの前 5月の緊急入院の時
朝食に付き合ってからパンも食べると分かった
朝の入院食はパンとパック入りミルクとジャムとおやつのゼリー
美味しいと飲んでいた
家ではあまり見ない光景だった
それならというので退院したら朝食はパン食に決めた
レーズンロールと食パンを生協からとっている
レーズンロールを4分の一ずつジャムをつけて嚙みくだき
それに栄養剤のエンショアを浸してトロトロ状態にして姉さんにあげる
いつもは飲み込むのに時間をかける姉さんが
すぐ飲み込んで口を開けて待ってる状態
こんなことはあまりない
姉さんはツバメの子か・・・とツッコむ
そうそう 今日はその前に昨日買っておいたコーヒーゼリーを1カップあげたんだ
コーヒーも結構好きな姉さんだ
ゼリーがおいしいし姉さんの食べるというのも入院して分かった
その前 5年前に入院いた時は まだ私は早朝の仕事をしていたので
姉さんの朝食には付き合えなかったのだ
昼食に付き添って一時家に戻り また夕食時に出かけて付き添う
そういうことをしていたが今回は仕事もやめているので
朝食から付き添えた
それでいくつか勉強になったことがあった
パン食でもOKだと分かったこと
ゼリーが意外においしいこと
それからスマホでさとちゃんちのコメントいたこと
スマホは持ってても画像撮るか動画を観るかしか使わない
電話をかけることも今はほとんごない
朝食が済んでから昼食まで3時間以上時間があるから
その時間をスマホからブログにコメントすることに集中した
まあこれは姉さんとは関係ない余談だが
そんなことで朝食はそこそこ食べたのに
11時半ごろ もうお腹すいたというので早めの昼食にした
お昼はソーメンとかお餅とかになるが 今日はお餅にした
トースターで焼いたお餅を少しのしょうゆをつけて
ベビーチーズと一緒にとろとろになるまで噛んで
パンと同じようにエンショアに浸して姉さんにあげる
お餅にはチーズという食べ方がうちの定番
エンショアもおいしいうえに
やわらかくとろとろになったモチをのばすのにいいのだ
お餅の準備が間に合わない時にはプリンを合間に食べてもらった
オモチガが終わるとエンショアだけを少し飲ませる
そして野菜ジュースもビタミン補給といって大匙で4~5杯あげた
そこでねえさんはご馳走様して
私はカレーうどんを作って食べた
今 12時40分・・・という所で電話
診療所から電話 診察日ということを忘れていた
あわてて出かけて行って
なにやかやの用を済ませて またここに書き始めたのが4時前
少し前まであるブログ記事の新作アップの作業をしてました
Yahoo!ブログにも同じものをアップしているのですが
今日から新作アップも記事の編集もコメントも出来なくなっていた
ありゃりゃだけど サービス停止に至る経過だろうね
カウンター昨日も消えたし
まあ私としては これからは引っ越し先のFC2ブログに集中すればいいわけで
手間が一つ省けていいやってところ
姉さんの日記には関係ないこと書いてるけど
流れでそうなったのでそろそろやめましょう
診療所から戻ってオヤツにプリンの残りを食べてもらって
野菜ジュースの残りを全部飲んでもらって
今姉さんはお昼寝中かな
さっきにわか雨と雷さんがなって
まだ遠くで鳴っている
これは午前中の巻ということで一旦投稿しましょう
そんじゃまた
ホンジャマカ

