•  

    人に好意を差し出されると、カメラのレンズを向けられている様な気分になる。

    私が不細工に笑い、喜んで尻尾を振る姿をフィルムに嵌めて、現像された其れを見て笑う誰かの姿がどうしたって浮かぶ。それ以外に私を喜ばせて何になるのかとすら思う。

     

    父は、私の頬を何度も平手で打ったし、白いブラウスが破れるまで私を引きずり、お気に入りの自転車をコンクリートに投げて壊した。

    その後泣いて私を抱き締め、「わかってくれたか?」と聞く。

    「何が?」と問えばまた、と考えて、私はただ頷く。

    父は、鞭を与えた後必ず癇癪を起した恋人を宥める様に娘を抱き締め、その行為を「愛情を注いだ」と言い、私はそれが心底気持ち悪かった。

    約一年振りに会ってしまった父は、24にもなる娘の頭を犬の様に撫でた。

    あからさまに顰めた顔は、笑った顔に見えたそうだ。

     

    きっともう、これらを切り離せない人生なのだろう。

    優しさは細切れの餌。人に向かっていれば美しく見えるものが自分に向かった途端芋虫の内臓に見える。

    距離を詰める時はいつも小さな針を刺し反応を見て、

    固く冷たい貴方がたを好きになり、溶けて砂糖水に変わった途端川へ流しては、可哀想にとただボーっと眺めた。

     

    私もいつか、喜びを覚える体を手に入れたい。

    それまでに私が変わるのか、そこまでの相手に出会うのか、それは分からないけれど、

    貴方が私を好きであることに、心底浮かれてみたい。

  • 今まで感じた事のない充実感を生活に感じている。収入がないのは厳しく、家族にかける心配の大きさを考えればそうも言っていられないのが現実だが、しかし、私は今生活に幸せを感じ始めている。 7~8時間の睡眠の後目覚める朝8時は何の苛立ちもなく歯を磨いて、その日の気分でメニューを変えながらゆっくりと作った朝食は美味しい。丁寧にスキンケアをして仕上げたメイクは綺麗にのるし畳で犬と転がって過ごす午後は気持ちがいい。 前よりずっと、物を大切に思う。前よりずっと、人を大切に思う。自分本来の優しい気持ちを取り戻した気がして、今とてもうれしい。 身の回りを綺麗にすること。元々好きで食べたかった野菜が多い食事を好きに作って取れる事。部屋に花を飾る事。私がずっとできなかった事ばかりだ。 マナーとして最低限のメイクをして、コンビニで買った菓子パンを齧りながら会社へ向かい、10分程度の休憩にコンビニ弁当を掻き込み、走り、4~5時間だけ眠りにつくため帰った。 仕事にやりがいを感じるのもわかる。求められ、頼りにされ、人のため生きる時間は仕事によって叶う。金銭と引き換えに。お金は大切だ。必要なものだ。家族に返していかなければならないし、生きているだけでかかる云万円が免除されることはない。楽しい事にもお金を使いたい。 だからまた私は働きにでるのだけれど、この充実した生活に、ただ別の充実が上乗せされるにとどまればいいなと思う。仕事のために生きる生活には、もう戻りたくない。生きるために仕事が必要なだけなのだ。 もう戻りたくない。二度と。