• お金で幸福は買えません
    今回は、どうしたら絶対の幸福になれるのかに非常に関係の深い、「仏教を聞く」ことにまつわる重要なご質問を頂きました。

    その前に、前回の有無同然の話では、なぜ経済的自由を手にしても幸せになれないのかお分かり頂けましたでしょうか?

    世界がもし100人の村だったら、大学に行った人は1人パソコンを持っている人は2人だそうですが、日本人ならその気になればパソコンは買えると思います。

    特にこのメルマガが読める方なら、パソコンかスマホをお持ちなのではないでしょうか。そんな世界でもトップ1~2%クラスに金持ちの日本人ですが、普段はそんな自覚がなく、なぜか結構お金が無かったり(笑)

    何かしら苦しみ悩み、不安や心配を抱えているわけですよね。

    たとえお金が有っても、お金で幸福は買えません。有無同然です。

    それが分かると、なぜ有無同然なのだろう?と考えます。

    そして、どれだけお金や物があっても、苦しみはなくならないということは、苦しみの原因はお金や物ではなく、もっと欲しい、もっと欲しいと思う「欲の心」ではないかと、自分の心に目が向きます。

    普通私たちは、自分が苦しんでいる原因は、自分が悪いのではなく、人のせいだと思いたいですから、かなり進歩してますよね。

    さてそこで、もし自分の欲の心が苦しみの原因であれば、欲を満たしきるか、欲をなくすことによって苦しみはなくなります。
    欲望を満たす方法
    「欲望を満たす」と聞くと、何か楽しそうですよね。あなたの欲望は満たされているでしょうか?

    日本は民主主義ですが、その根底にあるのは「最大多数の最大幸福」です。

    昔、うっすらとどこかで習った、18世紀のベンサムとか19世紀のミルの思想ですね。

    それが今の日本社会でもものすごく簡単に言うと、私たちの投票で、幸せの合計が一番多くなるように多数決で決めているということです。

    民主主義じゃない国でも、国の計画によって最大多数の最大幸福を目指していたりします。
    最大幸福の「幸福」って何?
    と聞くと、色々な考え方があってはっきりしないのですが、もともとベンサムによれば「どれだけ苦痛を減らして快楽を増やせるか」という、快楽計算でした。

    つまり快楽ひく苦痛ですから、要するにどれだけ人々の欲望を満たせるかが、政治に大きな影響を与えてきたのです。それに対する代表的な反論として20世紀のロールズは、「最大多数の最大幸福が大きくなるには、一部の少数派の人が奴隷になったほうがいいとしてもそれじゃダメじゃないの?」と考えました。

    そこで、最大多数の最大幸福の政治哲学ではダメだと、「その社会で一番不利な立場の人の 苦しみを少なくするのが最優先。最小不幸が正義」という難しい政治哲学を提案しています。

    他にも快楽の質など、様々な考え方がありますが、結局、みんながどれだけ苦痛を減らして欲望を満たせるかという功利主義の延長線上で論じられ、現代社会が営まれているわけです。

    ではそんな、欲望を満たそうとずっと追及し続けてきた社会で、あなたは欲望を満たせたでしょうか?「おかげさまで完ぺき満たしました」と言ってみても、どうもしっくりこないのではないでしょうか。
    欲望を満たすには?
    欲望を満たすには、まず欲の心についてよく知らなければなりません。
    欲の心とは、欲しがる心です。

    何を欲しがるかというと、食べたい、飲みたい、お金が欲しい、物が欲しい、恋人が欲しい、愛されたい、ほめられたい、悪口言われたくない眠たい、楽がしたいと何でも欲しがります。では、このような欲の心は、これで満足ということがあるでしょうか?

    例えば食欲です。
    どれだけ食べれば満足でしょうか。

    ちょっと食べると満足したかのように感じますが、それは一時的で、数時間後にはまたお腹がすきます。どれだけ満腹しても、何回食べても、またお腹がすきます。どんなに美味しいものを食べても、もっと美味しいものが食べたくなります。何をどれだけ食べても、これで満足とは言えないようです。

    眠いのも同じです。
    朝起きても、まだ眠いので、目覚ましを止めてまた寝ます。どれだけ寝ても、また眠くなります。寝れば寝るほど眠くなるという説もあります。

    欲の心というのは、満たされなければ満たしたいのですが、満たせばなぜかもっと満たしたくなります。満たせば2倍の度をまして渇きますから、ますます欲しくなって行きます。
    分かりやすいのはお金
    あまりお金を持たない人は、収入が月100万もあればいいと思います。ところがお金を持っていれば持っているだけ、もっと欲しいもっと欲しいと、欲も大きくなってきます。これで満足ということがありません。

    約150年前、スタンダードオイルを創業したジョン・ロックフェラーは、世界一の金持ちとなりました。

    個人資産だけでも、現代の物価に換算すると、60兆円を超える史上最強の資産家だったといわれます。そのロックフェラーがすでに巨万の富を築いて、60歳より前に引退した後、ある人から、「お金はいくらあったら満足ですか?」と聞かれたそうです。

    世界一の金持ちで、しかも引退してるんだったら、「もっと少なくても……まあ1兆円くらいあれば十分かな」くらいの余裕を見せて欲しいですよね。

    ところが世界一の大富豪は、何と答えたと思いますか?

    「もうちょっとだけ欲しい」だそうです。

    「もうちょっと」っていくらだよ!?と思いますよね。

    人類史上最強の金持ちになってももっと欲しいのであれば、欲望を満たしきるのは絶望的ということでしょう。石油が枯渇するほど採掘しても、一人の欲望も満たしきれません。地球資源が足りなくなってしまいます。

    欲望を満たせないのは、努力不足ではなく、原理的に不可能ということです。それは、欲望には限りがないからで、そんな無限の欲望を満たす方法を聞かれても、「ない」というのが結論になります。

    それなのに私たちは、欲望を満たそうとする社会の中で、どれだけお金があっても、どれだけ物があっても、もっと欲しい、もっと欲しい、まだ欲しい、まだ欲しい、限りなく欲しがって、苦しんでいます。

    では、欲の心が苦しみの原因だとして、限りない欲望を満たすことが不可能だとすれば、苦しみをなくすには「欲望」をなくせばいいということになります。