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July / 7月
26
2019
金曜日
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ゆうあ

07262305

今日は家庭環境のお話。

 

兄の怒った顔が嫌いだった

兄の言葉遣いが怖かった

怯えて過ごしていた

 

私は三人兄妹の3番目。兄が二人いて、私が末っ子。我ながら甘えん坊だと思うしそれなりに甘やかしてもくれていたと思う。

でも、いつからか、家族は仲良くなくなった。

私が小学生の頃、両親は離婚し、母に3人とも引き取られた。

父のことは、正直あまり覚えていない。

というのも、私が小学校に入学した頃は、父とは別居中だった。幼いながらに父に愛されていた記憶はあるものの、何故、今、家に彼がいないのかは分からなかった。

小学校2年生の頃だっただろうか?父が同居することになった。

父はその時も、私のことを愛していた、とは思う。追いかけ回されたり、抱きしめられたりした記憶があるから、きっとそうなんだと思う。ただ、兄への態度との差に、違和感を感じるほど大人ではなかった。

6年生の時、おおよそ家の状況を飲み込んでいた。私は既に離婚しているものと思っていたが、その時は離婚してはいなかったらしいけれど。

父は私の肩に手を置いて言った。「元気でね」。なんとなく、そんな感じのこと。私はいつもは逃げるのにその時だけ父の顔をしっかり見ていた。大きく頷いて、カバンを持って玄関から外へ行く父の背中を、ぼんやりと眺めていた。

時は過ぎ、中学2年生の頃。1番上の兄は、恐らく私だけでなく、家族全員に恐れられていた。母は父のいる家が気に食わなかったのか、幼い頃は夜はゲームセンターに出かけ、離婚した後も、安月給の仕事は残業や休日出勤が多く、晩御飯や家事などに手はつけられる状況ではなかった。多分だけど、時間的余裕というよりは、精神的余裕がなかったのだと思う。

そんな時に代わりにそれらをやっていたのは1番上の兄だった。当時は友人も多く、明るくハキハキとした、そこそこ普通の少年だったと記憶している。しかし、彼も母の息子。遺伝子はしっかりと受け継いでいたようで、メンタルの弱さが家族の中で群を抜いていた。兄が泣いているのを、初めて見たのもこの頃だ。

私はというと、目立った反抗期も起こらず、兄の説教という名の精神安定に、ごめんなさいと次からこうしますを駆使し付き合っていた。それが、もしかしたらダメだったのかもしれない。

とある日のことだ。私は空腹も感じず、与えられた部屋とパソコンでのんびりと時間を過ごしていた。気づけば晩御飯の時間をとうに越していた。階段を上ってくる音が、それだけでああ、怒っていると思うには十分だった。だけど、

やっぱり当時私は反抗期だったのかもしれない。

なんで降りてこねなや!と怒鳴りつける兄の声に、冷静にお腹空いてないからいらない、と返した。軽い反撃のつもりだった。兄は頭に血が上ったのだろう。いいから下に来いやと言ったので私もついていく。もうどうにでもなれと思っていた。

兄の怒鳴り声に冷静に返していた。

お兄ちゃんが働かざるもの食うべからずって言ったんだよ!今日私手伝ってないんだから食べなくてもいいじゃん!

だったら外でそこらへんの雑草でも食ってろよ!食いたくないんだろ!今日は食いたくないんだったら明日からも食わなくていいだろ!

兄は私のノートパソコンを水とお皿のたまった桶に投げ込み、ついには包丁を手に取って私に向けた。私は正直死んでもいいやと思っていたので兄の蹴りも、投げてくる瓶も、過去に受けた父からの虐待のようなものの説明も、それを受けたことがない私に対しての恨み言も、全部受け止めていた。

というか、流していた。そんなん言われたって私に関係ないし、と腹の中では思っていたし早く母が帰ってきてこの空気を変えてくれやしないかとも思っていた。部屋の隅で2番目の兄が体育座りをして必死に空気を装っていた。

ああ、これが私たち家族の最終的な形なんだと私はその時はっきりと感じた。

2019年7月26日 金曜日 | ゆうあ

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