早く本当の幸せになれる人
早く本当の幸せになれる人は、私たちの人生について、「あることが分かる人」ということが分かってきました。
これは、人生そのものだとわかりにくくなりますので、生きて行くことを飛行機で飛んでいくことにたとえます。
そうすると、生まれたときが飛び立ったときになります。
小学→中学 →高校と、一生懸命上昇して行き、社会に出ると水平飛行に入ります。
私たちは今も、昨日から今日、今日から明日へとすごい勢いで飛んでいるのですが、どこへ向かって飛ぶのでしょうか?
見渡す限り、太平洋のような広い海の上空を、どこかへ向かって飛んでいきます。
そんなにいつまでも飛んではいられませんので、必ず燃料が切れるときが来ます。
たとえ人生が100年になっても、必ず墜落していかなければなりません。
そういう私たちが、目的地も分からず、すごいスピードで飛んでいるのですが、どう飛べばいいのか、 という
飛び方しか考えていません。
これは、生きることでいえば、どこへ向かって生きるかという生きる目的とか方角は分からないのに、どう生きるかという生き方ばかり考えているということです。
確かに生き方にも飛び方にも、色々あります。
遠くまで飛びたい人は、巡航速度で堅実に飛ぶこともできますし、目立ちたくない人は発見されないように低空飛行をしたり、目立ちたい人は、曲芸飛行をしたりもできます。
政治も経済も科学も医学も、人類の営みのすべては、生き方を追及てしているものです。
飛行機なら、より安全に、より快適に、遠くまで飛ぶには、どう飛べばいいのかという飛び方です。
一番分かり易いのは医学です。
どうすれば、苦しみを少なくして、少しでも命を延ばすことができるかということですから、飛行機でいえば、どうすれば、快適に少しでも遠くまで飛べるかということです。
政治なら、安全に、仲良く生きて行くにはどうすればいいか。
経済なら、少しでもたくさん生産して、平等に分けて生きて行くにどうすればいいか科学なら、どうすれば、便利に生活することができるかという努力です。それも大事なことですから、一生懸命努力します。
それはそれでいいのですが、最後は燃料が切れて、墜落しなければならないことを忘れているのではないでしようか。
やがて必ず飛ぶ力がなくなって、墜落するのですが、それにもかかわらず、どう飛ぶかしか考えていないのが全 人類です。飛び方しか考えていないというのは 人生でいえば、生き方しか考えていないということです。
全人類は、生き方しか考えられないので、政治や経済、科学、医学などの生き方を生きる目的と思い込んで、それに一生を費やして何の不審も持っていません。それで、どんなに科学が進歩しても、経済が発展しても、心からの安心も満足もないのです。
しかし、飛んでいる飛行機にとって、飛び方も大事ですが、飛んでどこへ行くかという目的地はもっと大事ではないでしょうか。
もし目的地もなしに飛んでいる飛行機があれば、一生懸命飛んだ苦労が無駄になってしまいます。
目的地があって初めて、飛んだ苦労が報われるのです。
それと同じように、もし生きる目的なしに生きていれば、生き方に一生懸命頑張った苦労が報われません。
生きる目的があって初めて、生きる苦労が報われるのです。
医学は大事ですが、何のために医学は命を延ばすのか。
延ばした命で何をするのかという、生きる目的があって初めて、医学が報われるのです。
その全人類の忘れている本当の生きる目的を教えられたのが、仏教です。
仏教というのは、ブッダの教えですが、そこに説かれているのは、生きる目的であり、本当の生きる意味一つなのです。
今回お話しした、飛行機のたとえが、本当にそうだと思える人が、早く本当の生きる意味を知り、果たせる人です。