日本語は得意ですか?
日本語(作文)は得意ですか?
あらためてそう問われると自信がないという人が昨今は多いのではないかと思う。
ちまたでは「日本語練習帳」という新書がベストセラーになっているが、これはまさにその裏付けのように思える。
かくゆうわたしも、実は「自信のない」一人である。企画・デザインという仕事は文章を書く機会が比較的多い方の職種である。しかし本音を言うとコピー(文案)はあまり得意ではない。そして近頃、その苦しみに拍車を掛けているのがメールなどのデジタルツール。
むかしはそれこそ企画書を書くときぐらいしかキーボードを叩くことはなかったのだが、今は連絡や報告、フォーラムなどで、四六時中文字を打ち込んでいる。
口で話せればかんたんなことが、いざ文字で伝えようとすると難しい、と感じることが少なくはない。先日もNHKの「クローズアップ現代」という番組で、文字コミュニケーションの難しさを取り上げ、製品パネルの表記、マニュアル、電子メールでの顧客サポートを題材としてレポートしていた。そしてその裏側に「決め手」どころか、一歩間違うと「命取り」という、実は思い問題を含んでいることを感じた。
コミュニケーションが「文字寄り」になってくると、会って口頭で伝えれば、それこそ阿吽の呼吸で意思疎通できたものが、なぜか文字になった途端、誤解や誤認識、すれ違いが起きやすくなるようだ。
常識的に考えると、文字にしたほうが間違いが少なくなるはず、なのにである。
理由は種々考えられるが、主たるものは「言葉にする訓練」と「想像力」の不足ではないかと思う。
「言葉が足りない、何を言いたいのかわからない」文になってしまうのは、訓練不足、翻って書籍を読んでいないことに尽きる。そして、いまの「ビジュアル偏重」の風潮である。すべてがお手軽で、見てわかりやすいほうが良いという風潮は危険に思う。見たまますぐに分かるということは、見る側の思考停止(考えない)に繋がりかねない。
これがやがて想像力の「欠損」を引き起こすのではないだろうか。
相手の状況や心理を想像しながら、伝えたいことの表現や語句を選び、文章を作るべきところが、想像力の「欠損」によって、一方的な言いっぱなし=言葉足らずで意味不明、または反対に言いたい放題になってしまうのではないか。
上記の番組の電子メールでの顧客サポートは、その例であったように感じる。
スピードを求められる現在のビジネスで、「見てすぐわかること」の重要性は理解できる。しかし、その効率追求の結果が「考えない人」の大量生産ではあまりに悲しい。
「考えない人」を生み出さない、また「考えない人」にならないために何をすべきかを、それこそ「考える」必要がありそうだ。