日々

日々の言葉落穂ひろい⑦ ものわかりよさ

今日のTwitterから

ものわかりよさ・・・というか

ちょっと意味が違ってくるかもしれないけど

「聞き分けがいい」とか「ききわけのいい子」とかを連想したので

「ききわけのよさ」について思うことを書いてみたい

またも検索遊びじゃないけど

この二ちの言葉の意味の違いなどを確認してみようか・・・

Weblio類語辞書

物分かりが良い

意義類語
人などがこちらの意向汲んでくれるさま融通が利く融通がきく話が分かる話がわかる話の分かる話のわかる聞き分けの良い聞き分けのよい ・ 物分かりが良い ・ 物分かりの良い柔順な
教えられたことをすぐに把握して自分のものとするさま理解が早い物覚えがいい物覚えがよい物分りのよい物分かりのよい物分りがよい ・ 物分かりが良い ・ 理解の早い目から鼻へ抜ける一を聞いて十を知るのみ込みが早いのみ込みの早いすぐに理解するカンが鋭い察しがいい理解力が高い
物事道理よく理解しているさま物がわかる ・ 物分かりが良い ・ 物分かりの良い話が分かる分別のある分別がある理解の早い理解が早い聞き分けの良い聞き分けのよい聞き分けが良い聞き分けがよい利口な頭のよい利発な ・ 賢い ・ 分別のある弁えた分別を弁えた ・ ふさわしい ・ 思慮分別のある思慮分別がある分別がある常識ある常識のある道理をわきまえた道理を弁えた道理を心得た分別をわきまえたわきまえのある弁えのある

一応全部コピーしてみたが そうするまでもなかったようだ

ほぼ同じ意味だといえる

それではなぜ「ものわかりよさ」とか「聞き分けがよい」という言葉が気になるのか

それは自分自身が子供の頃はそうだったという記憶があって

そのことがむしろ自分の精神的な成長にとってマイナス要因になったのではないかと思うから

先生や大人の言うこと・・・それは子供にとっては大方正しい意見考えとして受け止め行動する

子供の頃はむしろ大人に逆らうくらい自分本位の考え方を持っていた方がいいのではと思うことがある

その方が・・・反抗心がある方が自己主張を通すくらいの強さがあった方が

それは行動力にも指導力にもその能力が発揮される人間になる気がする

「ものわかりよさ」や「聞き分けのよさ」はそれはそれで一つの能力ではあるが

自己主張するというより他人の意見を聞くあまり優柔不断な性格になる傾向があるのではないか

これはあくまで自分自身のことを思い返しての自己分析だから
自分はそうであったとしても人にもこの考えが適切だとは言えない

子供の頃の自分がそうだったからといって大人になった自分の自分で考える欠点や嫌いな面が

それだけの結果だとは言えないし成長過程ではもっといろんな要因が重なって

一人の人間としての人格形成がなされる

それはそれで慎重に検討されなければならないが

もう私にはそうする気力も必要性も感じていない

ふとある言葉から自分を振り返るきっかけになったというくらいのものだが

そのひとつの言葉が「ものえわかりよさ」であり「聞き分けのよい」という言葉だった

今思うのはそういう子ではなく

逆に大人を困らせる嫌がらせるくらいの子であったらよかったと

ないものねだりということはままあるように

その一つの例かもしれない

しょせんないものねだり

自分の好きな面嫌いな面

自分の良い面悪い面

それらを含めた全部が一個・・・一人の人間としての私の人格

全部ひっくるめて好きになるしかない

好きにならなければ

子供の頃を懐かしく思い出すのはいいが

こうだったらとこうあればとか今更思っても悔やんでも仕方ないこと

自分は今の自分になるべくしてなった

過去の自分はすべて笑い飛ばせばいいのじゃないか

もう死ぬのが近いのだから

そう思えばいいのに

やはり過去にこだわる自分が居て

その総括反省をしなければ先に進めない

ということは死ぬに死ねない?

こんな風に考えてしまうのが悪い癖

正解を求めてしまう「物分かり良さ」「聞き分けの良さ」・・・いい子から卒業しなくちゃ

いい子ぶったって今更仕方ないのに

 

でもこうやってある言葉について考え書く作業は

いちいちその意味付けしなくても

ボケ防止にいいんじゃないって感じでいけばいいさ

 


コメント

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