姉さんのいない日々 10月19日~とりあえず

13日の夕方4時 姉さんが亡くなりました

それまでのことを「姉さんの日々」で書いてきました

14日以降 この日記を作って書こうとは思っていましたが

やはりまだ気持ちの整理がついてなくて

書く気になれませんでした

考えたらちょうど1週間になります

金曜日の昨日 ベッドが無くなりました

姉さんがいた形跡は 壁に並んだ姉さんが半紙に書いた百人一首のお習字

古くて壊れて斜めになった整理箱 その上に置いてる白い布に包まれた小さな骨壺

古くからお友達野恵美子さんが 姉さんが亡くなった翌日持ってきてくれた百合の花

探し物をしていた時見つかった色紙 姉さんが井上ひさしの有名な言葉を書き写していた

額に入れていたものは 姉さんを大好きなリハビリの先生が気に入ったので ずいぶん前にもらっていただいた

何枚か書いて一番いいものを額に入れていた 他に色紙がのこっていたことは忘れていた その色紙が偶然見つかったので 骨壺の後ろに立てかけておいた

その斜めになった整理箱の二段目に 色紙をもらっていただいた方と姉さんが一緒に撮った写真がある まだ姉さん臥しっかりしていたころで 92歳の誕生日おめでとうと書いてあった

私の部屋には仏壇がない これからも置かない 私はそういう主義だから

姉さんが亡くなって 私が葬儀社にお願いしたことは何もしないことだった

早く火葬をしてほしいというのが希望だった

火葬が終わって 姉さんがお骨になって帰ってきたら 姉さんの神戸の親戚に連絡する

先ほど色紙が見つかったことを書いたが その時私宛のメモがあった 封筒に入っていたが姉さんは遺書のつもりだったのだろう

それを読むと自分が死んだ後にしてほしいことが書いてあった

はしなくも私が自分の流儀で下通りのことが そこに書いてあった

死のことは生きているときから話していた だから考えが通じ合っていたのも当然なのだが

そんな共通性も長い間共にしてきた喜びの一つだ

姉さんが死んだらお祝いするよと まだ元気な姉さんに何度も言っておいた 姉さんにというより その時々にその場にいた看護師さんや先生に対して言ってるつもりだった

姉さんが亡くなっても私は日記を書く作業をしていた その間中YouTubeで歓喜の歌を流していた

姉さんを送る曲は歓喜の歌と決めていた それは姉さんの死は悲しみではなく歓喜だから

歓喜がふさわしいから 人生という学び舎からの卒業 死は卒業祝い

姉さんの日々を書いてきたが 姉さんの死をもって書けなくなった

その代わりに「姉さんのいない日」を書こうかと思った

思いはしたが なかなか手がつかなかった

昨日ベッドが無くなり すっかり姉さんがいた形跡が無くなったところで

書いてみようかという気になった どんなことが書けるかわからない

書けなけらば書かないまでで 書けることを書こう

そういう思いでいる

今の状況を少し書いておくと

寝坊になった 8時ぐらいに起きている

何もすることがないからだ

姉さんがいた時は 姉さんが6時に起きていたらそれに合わせるし

少なくとも7時には起きるようにして 食事の用意をした

何もしないでいいから手持無沙汰になった

話す相手もいないしね

独り言するのもおかしいし

朝食は姉さんが食べてたレーズンロールがまだ来てたので

一日一本の野菜ジュースと一緒に食べた キューリもね

栄養剤のドリンクがたくさん残ってるので

栄養補給に少しずつ飲むつもり

それから昨日からのことだけど 古い映画をYouTubeでずっと観ている

観ながら書いている

今観ているのは

原 節子さん 20歳の肖像「嫁ぐ日まで」1940年

こんな古い映画が観られるのだからありがたい

といったところ これからnoteのアップ作業

そしてさとちゃんちのコメント

やることはいっぱいある

何も寂しくはないが 姉さんの世話ができないのがね

やっぱり寂しいかな

何をするのも楽しかったからね

なにも苦にならなかったからね

私は変態だから ウンチさえチョコレートに見えたよ

流動食しか食べられなくなって それもアイス類しか食べられなくなったころから

ほんとにチョコレートの色をしてたから なめてもいいと思ったくらいだ

初七日とかいろんな儀式があるのだろうが 私には関係ない 無関心

何もしない それが私の主義

大事なのは儀式ではなく 心だと思うから

それではまた

ごきげんよう

 

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