日々

会社の会議について

会社内には様々な業務があるわけだが、おそらくどんな会社にもかならずあるのが「会議」だ。常々この「会議」が会社内で一番に見直されるべき業務ではないかと思っている。まぁ、要は「会議」が嫌いなのだ。

そもそも会議とはなんだろう?

会議学という学問もあるようだが、私見で、会議の目的はおおよそ3つ。ひとつは「構成員間のコミュニケーション」、もうひとつは「組織というシステムの保持」、そして「セレモニー(権威付け)」だ。なんとか報告会、連絡会などは「コミュニケーション」、緊急会議、◯◯プロジェクト会議などは「システム保持」が主ではないかと思う。そして(反論もあろうが)定例会議などの、まず定期開催ありきのたぐいは「セレモニー」だ。もちろんひとつの会議がこれら3つの機能を兼ねることも多いだろう。

私達はこの3つの目的で、会議という手法を使うわけだが、問題はその依存度だ。

あなたの職場に、なにかにつけて「会議開催したがる」「会議の場で決めよう」または「会議でなければきめられない」という傾向は無いだろうか?言うなれば「会議依存症」だ。

この病気は、(会議はひとりではできないので)結果として、まわりの人間を巻き込んでゆく。重症であればそれだけ、開催件数のみならず、巻き込む人数や範囲が大きくなるのだ。そして一番厄介なのが、主催者・出席者ともに発症自覚がない点だ。

会議は業務の一環で、プロパー(当然)なものだ、とおそらく誰もが思っている。しかし、よく考えてみると私達は、会議をしたいわけではないはずで(中には会議、会合が命という人もいるが)、業務の段取りや進行を促す手段として利用しているに過ぎない。

メインはあくまで担当する業務で、会議はむしろできる限り発生を抑えるべきものではないのか。だが、会議を減らそうというムーブメントはなかなか起きない。

会議でなければ決められないということの裏を返せば、それは既存の組織機能やその長に責任・権限がないか所在が明確になっていない、または対処不能、つまり「機能不全」である可能性を示している。イレギュラーな事象へのエラー処理、サブプログラムとして会議が発生するわけだ。こういう状況が当たり前になっているとすれば、組織、場合によっては会社全体の再構築が必要だというアラームが立っていると考えるべきではないか。

いたずらに会議撲滅を支持するものではない。しかし会議という常識を疑う発送から、なんらかの転換点を見いだせるように思えるのだ。


コメント

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

  • 新規登録