日々

なぜ気になるのだろう goo blog「日々の細道」へのコメント記録~12日目

日々の細道

手持ちの回数券が一枚また一枚、残り少なくなっていく老いの日々、どう生きていくか?

義母の思い出

2007年03月11日
再開コメント12日目 (一郎)2019-09-27 23:54:06
色々あって
この記事にまだまともなコメントができていない
まともというのがどういうものか
私のコメントに関して言うなら
みなまともじゃないと評価 いわれても仕方ない
記事の内容に即したコメントという意味をまともというなら
今回は少しまともなコメントを書きたいと思う
まともなコメントを書こうとして
まだ来たばかりのPCに慣れずに
書いたものが消え その繰り返しで
書く意欲も失せてしまったというのが昨日まで
もう一度今日挑戦しようと まず書く姿勢を正している
そのせいか 今のところ順調 まだ消えていない
と安心してたらページが飛んだってことになるかも
書き終わるまでこのまま じっとこのまま
こんな歌詞の歌があったような

さて そろそろ本題に入ろう
記事の内容に即したコメントを心がけて
まず庭木の話
居間から庭の木で遊ぶ?小鳥の姿を見ることができると書かれている
庭のない安アパ―トぐらし
いやそのアパートでも 庭のある南向きの部屋に入ってたことがあった
今のアパートの前に住んでいたところだが
そこは二階建ての古い 一応名前はマンション
しかし木はなかったので 小鳥の遊ぶ姿を見るなんて叶うはずもなかった
時折 ヒヨドリの甲高い鳴き声を聞き
大き目の体が飛び去るのを瞬間目にするくらい
鳴き声だけはよく耳に入ってきた
その庭のブロック塀のところに 奈良のアジサイ寺に行った時に一枝折って持ち帰り植えたのが根付いて ガクアジサイの特徴的な花を沢山見せてくれた
しかし それは大家さんの奥さんに抜かれてしまった 芝桜も昼咲き桃色月見草も
そんなことがあっても文句言うこともできない身
庭木がある家に住みたいかというと
私は実は思っていない 動くのが嫌い
だからこちらのブログ主のように
庭木の選定を自分でするなど考えられない
手入れが大変だということはわかる
手入れしようと思えば植木屋さんに頼むことになるだろうし そうすれば費用もかさむ
経済的なことを考えても 庭木のある家に住むのはどうだか・・・
夢を言うならというか いい年をしてこんな夢を言うなど 恥ずかしいものだが
夢はホテルぐらしなんだなあ
ホテルといっても色々あると思うけど
「夢千代日記」の有名な脚本家
名前を忘れたのでけんさくしたが 早坂暁氏
彼がホテル住まいだと知った
どんなホテルかは知らないが
あこがれたものだ
あこがれることや 夢を見るだけなら
誰でもどんな夢も自由自在
現実で叶わぬなら妄想でかなえよう
というわけだが これまたいい年をして情けない
夢を実現するために 若いころ頑張ればいいものを
努力もせずに夢を手に入れようなどと
甘いことばかり考えていて いつしか男70 死に時
を迎えている ああ面白きかな人生
笑うしかないが 笑ってしまうほどに情けなさを通り越してしまった そこにあるのは笑い
そんな自分を笑い飛ばしている 面白がっている
そしてまだまだ甘いことを考えている
死ぬまで人間の運命はわからないと
もうわかっているのに 何かあるという期待可能性に しがみついている自分がいて面白い

もう一つの話題は義母との同居
40数年とか ブログではさらりと書かれている
「あまりやさしいことをしてあげず」と書かれているが
結婚当初からの同居は 男性からしたらよくぞ決心されたなあという感慨
言葉や文章にできないこともあったでしょう
私は父の母親との同居経験がある小学生のときで よくは覚えていないくらいの思い出
やはり思うのは 当時もっといろんな話を聞いておけばよかったということと
やはりもっと優しく接していたらという後悔
その祖母がつくったアジの南蛮漬け
私としては初めてだったかもしれない
そのおいしさを今でも思い出す
父がいくつのころだったのか
話しを聞いていないのでわからないが
祖母夫婦は離婚している
それ以来 祖母は実家暮らし
その生活はどうだったのだろう
長男である私の父親は
敗戦後 母親の郷里に引き揚げてきたものの
そこは田舎で仕事はなく
長崎市内へと単身でかけた
その後私や姉二人 母も長崎に出て父得rすことになったが 生活は苦しかった
祖母は郷里で暮らし 父やその弟とも
一緒に暮らすことはなかったが
私が小学生の頃の短い期間 しかし一間の部屋で暮らした
今思えば 祖母のことを何にも知らぬ
祖母の語る父の姿を聞いておきたかった
父の子供時代はどうだったかと
後にして思うことばかりだ
そんなもんだろう 後悔ばかりだと

私は今 40年以上同居している人の介護をしている
年は20以上は慣れている
今 93才 先月半ばに意識不明になった
脳梗塞が疑われた 私はもうだめだと思った
ところが点滴だけで命をつないで
意識が徐々に戻り 1週間後には食事を食べられるようになった
こんなことがあるものだと姉さんに感謝した
しかし 高齢な姉さんはいつ何が起きても不思議ではないと言われている
もちろん私はその覚悟もしている
そして 姉さんを最期まで看取るつもりだ
ここで私は後悔したくない
できることを精一杯やるつもりだ
そして姉さんを喜んで送りたい
本当にお疲れさまでしたと
本当にお世話になりましたと
姉さんには それそれだけ私は
迷惑のかけどうしでした
だからその恩返しを今させてもらってる
いい仕事をいただいたと姉さんに感謝している

どうにか最後まで書けたようです
ではまた

 

 


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