日々

なぜ気になるのだろう goo blog「日々の細道」へのコメント記録~36

日々の細道

手持ちの回数券が一枚また一枚、残り少なくなっていく老いの日々、どう生きていくか?
3月が去る
2007年03月31日

数か月 ほとんど外に出ていなかったとか

庭にもというから よほどのことだったのだろう

そして3月 ブログをはじめ庭に出た

自然と鉢の手入れもできた

何もしない・・・それが一自然と心の治療になったといえる

実際にそれを 治療の一つとして実践されている

いわゆる森田理論とよばれるもの 絶対伏臥

何もしないことが 心のうちに何かしたいという欲求を起こさせる

内的動機が湧くのを待つ 何もせず待つ

待つというのは 人の心を信じるということ

絶対の信頼がそこにある

ブログ主が そのことを意識していたかどうかは分からないが

結果は 心の衝動にかられ一歩庭に踏み出すことに

その一歩を踏み出させたものは 己が内的力以外の何物でもない

働き者と冠される日本人 何もしないということに罪悪感すら覚える

潜在的に植え込まれている意識 働かざる者食うべからずという言葉もある

そういう中にあって 何もしないということはある勇気を必要とする

そう意識しないまでも 世間的に批判されることになる

嫌でもそう意識せざるを得ないだろう

実際の心の動きとしては なんとなく何もしたくない 何もできなかった

という状況もあっただろう それすら私は 内的無意識がなせる業だと思う

体は 物理的に自己保存のシステムが遺伝子に組み込まれていると信じている

遺伝子段階での働きだから 意識されることはない

あくまで無意識の領域での体の働き機能が 甘ざまな指令を出す

自己防衛 自己保存の生物学的に蓄積され 遺伝子に記憶された本能の働き

たとえば激しい腰痛として警鐘を鳴らす 本人はその腰痛の原因が分からない

医学的科学的検査分析にもその原因は見つからない

その分野の解明を進める医学が心療内科 そこで心的原因が 初めて認識される

その治療の要も 何もしないこと

こうしなければならないという心のプレッシャー 抑圧が

様々な体の異常となって表れる 時には激痛を伴って

心的抑圧が 物理的痛みを伴ってこころに警鐘を鳴らしている

凡人には さしたる心的抑圧はないと思われるものの

その程度の差はあれ 最初は無気力として表れる

病院での治療を受けることなく 無気力 何もしない結果として

内在する力 衝動によって一歩を踏み出す

その一歩が 心の抑圧からの解放の兆し

他の言葉で言えば

自分を信じ 心の赴くままに任せる


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