日々

なぜ気になるのだろう goo blog「日々の細道」へのコメント記録~23日目

日々の細道

手持ちの回数券が一枚また一枚、残り少なくなっていく老いの日々、どう生きていくか?

親鸞聖人のお墓のまえー名著堂

2007年03月23日

再開コメント23日目 (一郎)2019-10-11 23:21:04
途中まで書きかけていたのですが
飛んでしまいました
懲りずに違うことを書くことにします
これまで書いたのはまずいぞという天の思し召しと思うことにしています 天の為すことなら逆らえませんし 文句も言えませんからね
都合のいいときだけ点を引っ張り出してきます
第十八願について書いてたのですが
要するに南無妙法蓮華経と唱えなさいということでしょうか
念ずれば通じるという言葉もありますからね
ところで親鸞で私が思い出すのは 俳優の三國連太郎 「白い道」という本で親鸞を書いていますね
当時 俳優がなぜ親鸞をという興味関心から一応買って詠みかけて投げ出しました
私の関心は親鸞にあるのではなく 俳優がなぜ親鸞にたどり着いたかというところにありました
彼はまた別の本で そのことを書いているようです
今回知ったことです
映画も監督したのですね
それだけ親鸞に打ち込んでいたことが分かります
異色の個性的俳優として 気にはなっていた人ですが 気になる程度で終わったようです
しかし 映画を一作作るのにはかなりのエネルギーがいります それをやり遂げたのおですから その点だけでも尊敬しますね 並大抵の仕事ではないと思うからです
彼にすれば俳優としての評価は高く それだけでも誇れることですが 親鸞の本を著し映画を作った
これ以上の喜びはないのではと思います
人間としてやりたいことをやったという満足感を得たのではないかと思う
いや それとも彼は次なる次元のことを考えていたかもしれない 人間の欲望や知的関心 向上心は
とどまることを知らないからです
変凡な人間なら別ですが
そういう点で彼は次に何を考えていたか いなかったか その辺のことを知りたいとは思います
親鸞の話に戻れば 親鸞の作といわれている和歌があります
有名ですからここには書きませんが
何かにつけ使う言葉ですね
私がよく使う言葉
一寸先は闇 これとて同じ考えだと言えます
今の今を大事にということでしょう
また飛ばないうちに投稿しましょう
う~~ん 今一だったなあ
まあこんなもんです
たかだか私の書くことは

 


コメント

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