これから絵を描くことについて思うこと
私にとって絵を描くという行為は、今まで二次創作ありきだった。最初に何かしらの衝動があるのだ。公式に怒りを覚えたり、彼等の恋心を確信して形にしてみたり、等。
では私自身が絵を描くという時、私は何を描きたいのだろうか。二次創作ではない、私の絵だ。途端に難しい。私自身には一つの作品という媒体を抜きにしてパッションを感じたり、表現したいと思うことが意外とない事に気づいた。
だがとある人の言葉で、クライアントのために作品を作るのがデザイナーなら、作家のクライアントは自身だ。というのを聞いた。これはかなり響いた。私は自己中心的な人間だから自分のために作品を作りたい。あわよくば認められたいし作品を好いてもらいたい。いやむしろそちらがメインかもしれない。いつからか絵を通してでしか承認欲求を満たされなくなったような気がする。容姿を褒められようが(あまりないが)仕事で業績を褒められようが、絵を褒められることを超えるものはない。絵を褒められるというこたは私にとって生を肯定されたに近い感覚なのかもしれない。そのくらい絵に浸かってしまった。どっぷりと言うほど描いているわけではないのに精神だけが絵に取り憑かれている!絵以外にも一応やれることはあるがやはり絵を認めてもらいたい。
話が逸れた。自分で言うのも変な話だが私が描く二次創作をいいねと言ってくれる人は少なからずいる。それは絵柄からだろうか、それともキャラクター達への捻れた感情が生み出す絵に対してだろうか。二次創作は他人の土俵で勝負しているとよく言われるが、私はそうは思わない(3割くらいは思うけど)。いくら他人の土俵といえども感情を、パッションを形にしているという時点でそれは立派な創作である。胸を張っていい、はずだ。たぶん。大っぴらにそういえないのはこの界隈がグレーだからだが。それは今は置いておいて。
残り2年。二次創作ではない、自分の創作をするのだ。パッションが必要だ。パッションは探すものだろうか。パッションは湧き上がるものでは。まだわからないことが多すぎる。絵と向き合うことはきっと自分と向き合うことだ。今まで置き去りにしてきた自我を、私を、このあたりで少し探してみるのも悪くないのかなと思えた。