いきるということ
なんなんだろうね。
昨日は死ぬ方法について考えていました。
別に実行にはどうせ移せない弱っちいやつなんだけど、鬱っぽくなって死にたいなぁって布団に入ってうだうだすることが月一くらいである。二ヶ月に一回くらいかなぁ。
大っぴらに言えなくて恥ずかしいことだと思うんだけど…でもたまに死にたいって言うと「なんで?!死ぬとか!」みたいな過剰反応してきてくれる人がいて、おお…ってなることがある。「みんな悲しむよ!やめなよ!」みたいなことを言ってくる人もたまにいるんだけど、見当違いだなぁと思う。どうしたいんだろうその人。って思う。
そんなこと分かってんだけどしょうがなく死にたい時があって、死にきれないからただ死んでないだけなんだよね。あとそんなに狼狽える事だったり、考えないことなの?とちょっとびっくりする。そうだよね、そういう時期なんだね、どうした?って聞いてくれる友達が多いしそういう人に囲まれてるから、あ、ごめんなさい…まじか…てなる。いやとっても好きなんだけどその人のことは。まぁ置いといて。
たまたま谷川俊太郎さんの生きるって詩に触れる機会があり。べらぼうに感動した。生きるってそんな些細なことで感じられてるんだ、谷川さんは、と。
というかそういうことを些細なこととして生きちゃいけないんだろうな、と。
思った以上に自分は色んなことを見ないで通り過ぎてるんだろうなって思いました。おこがましいな、と。
確かに今、自分は生きてんだなあと。そういうのを一個一個感じてから、生きるか死ぬか考えなきゃいけないのかなって。